【月一エヴァ シン・エヴァンゲリオン劇場版 リバイバル上映】
- 鑑賞日 2026/02/14
- 公開年 2026
- 総監督 庵野秀明
- 監督 鶴巻和哉、中山勝一、前田真宏
- 脚本 庵野秀明
- キャスト 緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃、山口由里子、石田彰、立木文彦、清川元夢
- あらすじ ミサトら反ネルフ組織「ヴィレ」は、パリの旧ネルフ施設を奪還する作戦を決行していた。一方、前作で全てを失い、生きる気力を失った碇シンジは、アスカやレイ(仮称)と共に、赤い大地を放浪した末に生存者たちの集落「第3村」に辿り着く。人々の温かさに触れ、少しずつ立ち直っていくシンジ。
- ジャンル 日本アニメ ドラマ SF アクション
- 鑑賞媒体 映画館
- お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)
感想
5ヶ月に及ぶ「月一エヴァ」マラソンの完結、感無量です。
テレビ版から旧劇、そして新劇へと地続きで駆け抜けたからこそ到達できる『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の地平……その没入感と、緒方恵美さんの言葉から導き出された「虚構と現実」、その感想をつらつらと書いていきます。
当時と今の鑑賞後感の違い。
公開当時に『シン・エヴァ』を観たときは、前作『Q』から9年もの歳月が流れていました。ある種、色々な記憶がリセットされた状態で、「久しぶりにみんなに逢えた」という感動があったのを覚えています。
しかし今回は、「月一エヴァ」として5ヶ月連続、物語を地続きで体感した上での『シン・エヴァ』です。その没入感は、当時とは比較にならないほど桁違いなものでした。
「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」の重み
シト新生からAir/まごころを、君に、そして新劇の『序』『破』『Q』を月一のペースで積み重ねてきたからこそ、シンジ君の放つ「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」という言葉の重みが、初見の時より重く、重く、そして深く、深く響きました。
それはシンジ君に限ったことではなく、初代の「綾波」を経て、今作の「アヤナミレイ(仮称)」が辿り着いた帰着。「惣流」から「式波」へと変遷していったアスカの心。ミサトさんの「行ってらっしゃい」という言葉に込められた新旧の意味の変化。全キャラクターの昇華が、とんでもない熱量の感情移入となって襲ってきたのです。
劇場の空気も、恐らく同じだったのでしょう。エンドロールが流れる間、誰一人として身動きせず、壮大な余韻に浸っているのがヒシヒシと伝わってきました。
大抵の映画なら、スタッフロールが流れると「ふぅ、終わった」という弛緩した空気が流れたり、一斉にもぞもぞする音が聞こえたりするものですが、今回は明かりがつくまでビシッとした静寂が保たれていました。皆それぞれが、自分の中の「エヴァンゲリオン」という存在と整理をつけていたのだと思うと、非常に感慨深かったです。
緒方恵美さんの言葉から紐解く「虚構と現実」
月一エヴァ恒例の冒頭の声優挨拶で、シンジ役の緒方恵美さんが仰っていた 「これだけ綺麗に終わった物語でも、まだ今でも自分はエヴァの世界で14歳を演じている感じがする」との言葉に、当時観た時にもおぼろげに感じた感想が、今回、より腑に落ちた感があります。
仕事としての「碇シンジ」は、今後もパチンコやゲーム、様々なコラボレーションという資本主義のサイクルの中で、消費される「コンテンツ」として生き続け、緒方さんはそれを演じ続けるのでしょう。それは5年前、シンエヴァで綺麗に終わったかと思ったエヴァンゲリオンが、今も至る所でコラボを続け、莫大な利益を産んでいる現状が物語っております。
けれど、本作で繰り返し描かれる「虚構と現実」というテーマの通り、ずっとアニメという虚構の世界でエヴァに翻弄されてきたシンジ君本人は、エヴァのない現実の世界(こちらの世界)へ来ることができ、ついに何物(スポンサーや玩具会社)にも縛られない、一人の人間としての自由を手に入れた。
パチンコやグッズなどでこれからも消費され続ける「虚構のシンジ君」と、実写の世界(現実)でそれらの呪縛から解き放たれた「本物のシンジ君」。庵野監督は、シンジ君をマリと共にエヴァのない世界へ送り出すことで、彼を救い出したのだといいな、と思っております。
ひるがえってカヲル君やアスカ、綾波は、向こう側の虚構の世界の改札に残っています。今後もし「エヴァ外伝」などが作られるなら、彼らは再びキャラクターとして消費される世界に戻るのかもしれません。 ですが、唯一実写の世界へ飛び出したシンジとマリだけは、そういったパラレルワールドだとしても作品世界には出さない、もう二度と「消費」の道具として使わせないぞ、という庵野監督の決意だったとしたら、これほど熱いことはありません。
これまでのシンジ君の過酷な人生を、5ヵ月かけてぶっ通しで観てきたからこそ、彼の成長と解放には涙なしでは観られません。もう、二度とエヴァのいる世界に戻さないであげてほしいと願います。(虚構のシンジ君は、まぁ仮の姿として沢山企業コラボして、スタジオカラーを支えてあげて下さい(笑))
ゲンドウの術式と、AI時代の「顕現」
そう考えると、本作がこれほどまでに「虚構と現実」を強調したのは、ゲンドウの望む補完計画そのものが、「完結後も延々と消費され続けるアニメの世界から、こちらの現実世界へ飛び出すこと」だったのではないか……。そのための複雑な術式やおまじないだったのでは、とまで思えてきました。エヴァという庵野さん自身も呪縛として人生の重荷になっていたコンテンツを、全てのエヴァ世界の生き物を一つにして、アニメという虚構から、こちら側の実写現実にユイと共に生まれ変わる。
AIが台頭し、バーチャルが現実世界に侵食し始める現代において、アニメという「虚構」から実写という「現実」にキャラクターが自我を持って顕現しようとする物語(あるいは創造主が救いとしてさせる物語)として見ても、思考実験として実に面白いです。それ位色々深く楽しめる物語でした。
スクリーンでこそ味わえた「今度こその卒業」
改めて感じたのは、庵野監督も仰っている様に、今作がいかに「劇場用」に特化して作られているかということです。配信版も観ていますが、スクリーンから伝わるアクションの迫力や小道具の導線などは段違いです。正直配信版では途中で視聴を止めた事もあります。もし配信だけでつまらない、と感じた人がいるなら、ぜひこの機会に映画館で観てほしい。
中学生の頃出会ったシンジ君が立派な大人になり旅立っていった、長く過酷な旅を共にした戦友を見送るような、心地よい寂しさと、この6ヶ月間の得難い体験をもって、今度こそ僕もエヴァを卒業できたのではないかと思います。……多分(笑)。
おかえり、シンジ君。そして、今度こそ、行ってらっしゃい。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン。改めて、20数年間にわたる壮大な旅を共に歩ませてくれた制作陣の皆様、本当にありがとうございました!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんの感想も、ぜひお聞かせください!


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