【プロジェクト・ヘイル・メアリー】
- 鑑賞日 2026/06/21
- 公開年 2026
- 監督 フィル・ロード、クリストファー・ミラー
- 脚本 ドリュー・ゴダート
- キャスト ライアン・ゴズリング、サンドラ・ヒュラー
- あらすじ 太陽エネルギーの減少により、人類滅亡の危機に瀕した地球。中学校の科学教師ライランド・グレースは、記憶を失った状態で宇宙船の中で目覚めます。自分が地球を救う唯一の希望であり、過酷なミッションを託されていることを思い出した彼は、未知の恒星へと向かいます。そこで彼は、想像を絶する異星の存在「ロッキー」と出会い、種族を超えた友情を育みながら、両方の世界を救うための決死の作戦に挑みます。
- ジャンル アメリカ映画、SF、アドベンチャー、ドラマ
- 鑑賞媒体 映画館
- お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)
感想
待ちに待った映画版『プロジェクト・ヘイル・メアリー』がいよいよ公開!原作小説は僕の人生ベスト5に入るくらいの超超超名作で、最初から最後まで夢中で読みまくりましたし、読み終えた後の深い脱力感は今でもはっきりと覚えています。
あの大判前後編を2時間弱の映画にまとめるのは、まず無理だと思っていました。なので、僕が今回の映像版に期待していたのは、「ロッキーのビジュアル化によって彼のことがもっともっと好きになること」「頭の中ではいまいち分かってなかった、様々な構造体の把握」そして「博士ではなく教師としてのグレースの描き方と、小説でも一番感動したラストの描写」でした。
結果として、それらは想像を遥かに超えるクオリティで描き出されていて大満足です。原作未読の方には「最高に面白いSF映画」として、既読の方には「完璧な映像的補完」として、制作陣が勇気を持って再構築してくれたことに心から拍手を送りたいです!
映画でしか描けないこと
今回の映画化を観て感じたのは、制作陣が「映画という媒体で何を表現すべきか」を徹底的に考え抜いたんだなということです。原作であれほど緻密に、ロジカルに積み上げられていた科学交渉の部分をあえてバッサリとカットし、グレースとロッキーの「バディもの」として特化させたのは大正解でしたね。
映画オリジナルの360度ビジョンの部屋や、それを使ったエモーショナルなシークエンスなど、映像でしか伝えられないヘイル・メアリーの魅力をこれでもかと描写してくれました。ロッキーの母船などは、原作のテキストから想像していた形とは違っていましたけど、目が見えないあの種族にとって「音叉」のような形だったのは、すごく見応えがあって格好良かったです。
その宇宙船とヘイル・メアリー号が同じ速度で回転して、まるでダンスのように踊っている描写は、やはり映像でしか見られない大変な感動でした。
物語部分の感想を述べれば述べるほど、結局は小説の感想になってしまう。ですので、ここでは映画化によって得られた感動そのもの、に特化して感想を書ければと思います。
聴覚と視覚で「実存」するロッキー
原作において、相棒であるロッキーとの意思疎通は「音楽的な和音」と説明されていました。これを映画がどう表現したかは最大の比較ポイントでしたが、文字で「和音」と読むのと、実際にシアターの音響で「地球外生命体の声」を聴くのとでは、没入感が全く異なりました。あの音が単なる記号ではなく、「感情」として伝わってきたのが素晴らしく、科学的な対話がリアルタイムで映像化される際のリズム感も、読書スピードとは異なる「知的興奮」を生んでいました。特にロッキーが自分たちの言語でパートナーの名前を呼ぶ場面は本当に美しくて、あれはまさに映像でしか表現できない芸術でしたね。
そして何より、ロッキーが実写としてそこに「居た」ことが本当に嬉しいです。小説の記述にあった「五角形の対称性」や「岩石のような表皮」が見事に視覚化されていて、小説で彼に感情移入しまくり大好きになっていた僕にとって、これが見れただけで大満足といっても良い!「驚き、驚き、驚き!」
ファーストコンタクトもので一番肝心な「両者が出会う場面」に、しっかりと尺をとっているのも良かったですね。
ロッキーの「愛らしさ」が、造形やマニピュレーターの仕草によって完全再現されていました。フルCGIではなく実物大のパペットを使用したことで、主演のライアン・ゴズリングが実際に「触れ、視線を交わす」ことができ、そこから生まれた空気感には、小説の想像力だけでは到達できない「そこに生きている」という実存感が宿っていました。
ライアン・ゴズリングが体現する「静寂の脆さ」
小説は一人称視点の独白で進むため、主人公ライランド・グレースの思考を僕たちがすべて読み取れましたけど、映画ではそれを「表情」で伝えなければなりません。でも、そこはさすが名優ライアン・ゴズリング!彼は過剰なセリフよりも「静寂の中の佇まい」で感情を語ることに長けた稀有な存在なので、孤独な宇宙船での演技がピッタリでした。読者に伝わりやすいナレーションという手法に甘えず、映画的技法でしっかりと伝えようとしていたのは素晴らしかったです。
独り言を言っている時、彼は自分を励まそうとしているのか、それとも正気を保とうとしているのか。ふとした瞬間に見せる、肩の力の抜け方や、誰も見ていないところで見せる絶望的な表情。これは一人称の小説では「地の文」として処理されますが、映画では「カメラが捉えてしまった主人公の脆さ」として、より切実に胸に刺さりました。
勇気ある再構築
小説には小説にしか作れない物語があり、映画には映画でしかできないことがあります。これだけ世界中で人気の出た小説ですから、無難に三部作や前後編にして、完全再現を目指す作りもできたはずです。でも、しっかり取捨選択して再構築し、世の中のファンの批判を恐れずにオリジナルで作品を作り上げたことは、本当に素晴らしいと思いました。全編を通してダイジェスト感がなく、ちゃんと映画として再構築されていた制作は素晴らしいです。
科学的な要素を削ぎ落としてエモーショナルな物語に特化したことで、映画版では「宇宙船に乗りたくなくてあがきまくるグレースの姿」と、「地球へ帰るのを諦めて、ロッキーのために助けに向かう、初めて自分の意志で命を懸ける姿」との対比が、とても分かりやすく伝わってきて感動しました。
また、ストラットについても、小説版では目的のためには手段を選ばないサイコパスのような側面があり(だからこそ人類は助かった)、人間的な部分を表面に見せませんでした。しかし映画版では、それに加えて「人類を救う重圧に耐える一人の人間」としての硬質な演技があり、より人間臭くなっていて良かったです。
宇宙船の中身も、小説では脳内でマッピングしながら読んでいましたが、映像では一発で視覚的にわかるのがやっぱりいいですね。最後のグレースが生きるあの場所も、僕が想像していた以上の広さで作られていてびっくりしました。ロッキーたちの科学力半端ねー!
小説と映画、両方で感動できるこの上ない幸せ
小説の中でとても印象的だったのが、生徒たちに対してグレースが「この子たちは牧歌的な時代に育ち、やがて黙示録的な悪夢の中に放り込まれることになる」と悔やむセリフです。自分では臆病者と言って逃げ回ってしまう彼ですが、根本的には生徒たち、子どもたちを助けたいという思いが強く強くあるんですよね。
それが最後にロッキーたちの種族の子どもたちを教えるラストシーンに繋がっていて、その昇華にこそ僕は一番感動したのですが、映画版では、この「教師として子どもたちを心から思う」というグレースの一面は、少し描写が薄かったかもしれません。原因としては、ロッキーを助けに行くシーンでかなり重要である「餓死する」という要点を意図的に削除した事にあると思います。
結果として、単純に地球に裏切られたグレースがロッキーの星での永住を決めた、様な描写になっているのですが、この解釈は小説版ではまるで異なります。考えすぎかもですが、映画を観た結果小説を楽しめなくなってしまう事を避けるために、この映画を観たとしても小説は真っ新な気持ちで楽しめるよう、意図的に肝心な部分は抜き取ったという配慮なのかな、と(笑)
それでも、完璧な小説の補完としてこの作品を観られたことは、僕にとってこの上ない幸せで、原作へのリスペクトが詰まった見事な映画化でした!面白かったー!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんの感想も、ぜひお聞かせください!


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