【映画レビュー】「ウィキッド 永遠の約束」/「出会い」が世界の見方を変える、圧倒的な音楽の暴力!

映画

【ウィキッド 永遠の約束】

  • 鑑賞日 2026/03/06
  • 公開年 2026
  • 監督 ジョン・M・チュウ
  • 脚本 ウィニー・ホルツマン、デイナ・フォックス
  • キャスト シンシア・エリボ(エルファバ)、アリアナ・グランデ(グリンダ)、ジョナサン・ベイリー(フィエロ)、ミシェル・ヨー(マダム・モリブル)、ジェフ・ゴールドブラム(オズの魔法使い)
  • あらすじ オズの国の真実を知り、別の道を歩み始めた二人。「悪い魔女」の汚名を着せられながらも自由のために戦うエルファバと、「善い魔女」として民衆の希望の象徴となったグリンダ。二人の溝が深まる中、カンザスからやってきた一人の少女の登場によって、オズの国の運命は大きく動き出す。かつての友と向き合い、彼女たちが下した最後の決断とは。
  • ジャンル アメリカ映画 ファンタジー ミュージカル
  • 鑑賞媒体 映画館 IMAX
  • お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)

感想

公開初日に鑑賞してきました。物語の核心に触れるネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。

「あなたと出会えて、見方が変わった」という普遍的なテーマ

例えば白人の親友ができたら、彼らの宗教に関心を持つようになるでしょう。例えば黒人の恋人ができたら、彼らへの差別は決して他人事ではなくなるでしょう。

「あなたと出会えて、世界の見方が変わった」

この普遍的なテーマを、見事な映像と音楽で超一級のエンターテインメントとして伝えてくれる。前編に続き、後編も凄まじい映画でした。

上記のセリフが出る場面で象徴的だったのが、頑なにフィエロの求愛を拒み、黒装束で心を鎧っていたエルファバが、やっとそれを脱いで素肌を見せる肌着姿になった瞬間。一気に「ウィキッド(魔女)」から「一人の女性」へと表情が変化する演出は本当に見事で、その変化があるからこそ、フィエロが呟く「君に会えて見方が変わったんだ」という台詞がストレートにこちらに刺さる。演出の素晴らしさが物語にブーストをかけた最高の瞬間でしたね。

虚構と現実の間で揺れる、二人の対照的なヒロイン

幼い頃から魔法を使えず、嘘ばかりついて育ったグリンダ。彼女が鏡を利用して、虚構と現実の自分が織り混ざるなかで歌う『The Girl In The Bubble』のミュージカルシーンは圧巻でした。彼女の葛藤とコンプレックスが画面上で交錯し、どれだけ見栄を張っていても「あぁ、でも真実は染み出してくるもの」と切なく歌う描写には胸が痛む。揺れ動く内面が見事に描かれた見応え抜群のシーンでした。

エルファバも強大な魔導書を持っているとはいえ、完全に制御できるわけではなく、できる抵抗は雲にメッセージを書いたり空からチマチマと肉弾戦を挑んだりと、しょせんは多勢に無勢。その孤軍奮闘する悲しさと、煌びやかな結婚式を迎えるグリンダの対比。そして、その式場がぐちゃぐちゃにされる悲哀(ここのセットも良かったねぇ!)。前編を通してこちらとしては二人ともを大好きになっているので、二人ともに幸せになって欲しいし、共に道を歩んで欲しいし、切なさが止まりませんでした。

差別される出自ゆえに強大な才能を持ってしまったエルファバ。全てを持っているけれど才能だけが手に入らないグリンダ。そんな相反する二人が、クライマックスで「あなたに出会えたおかげで、わたしは永遠に変われた」と歌い上げる姿には、もう涙腺崩壊です。
他者に歩み寄り、寄り添って、理解しようとする。それができないからこそ、今、世界は断絶している。そのために僕達に何ができるのか。あのシークエンスには、そのすべてが凝縮されていました。

現代社会に突き刺さる「魔女狩り」のグロテスクさ

作品を通して一貫して恐ろしいのが、扇動され続ける民衆たちの姿です。湾岸戦争やイラク戦争を反映させたと言われる原作のメッセージは、SNSを介して一方向への激動が止まらない今日において、より一層の鋭さを持って迫ってきます。

「悪い魔女を殺せ!溶かせ!魔女狩りだ!」としつこいほどに描写される群衆の姿は、デフォルメされた世界であっても本当にグロテスクで恐ろしい。日本でも至る所で見られる「生け贄」「吊し上げ」「リンチ」は、昨今ひどくなる一方です。だからこそ、劇中での「あなたと出会えて私は永遠に変われた」というメッセージは、実現が難しくとも、理想論だとしても、どこまでも普遍で尊い。


また、国から脱出しようとする動物たちに、エルファバが「故郷はここ以外にない」「あなたから故郷を奪おうとするものは嘘をばらまく」「オズの国はあなたたちのもの」と奮い立たせる【No Place Like Home】。レジスタンスとして権力に抗う心強い歌であると同時に、見方を変えれば現代の移民排斥を叫ぶ過激な愛国者の台詞にも聞こえてしまう。この多義的な描写には、なかなかの深さとグロテスクさを感じました。

圧倒的な「闇落ち」と、完璧なプロット

今までヴィランが闇落ちするミュージカルで一番好きなのは、『ノートルダムの鐘』でフロローが歌う「罪の炎(Hellfire)」です。あの「ヘールファーイヤー、ダークファーイヤー」のシーンは何度観ても鳥肌が立ちますが、今作のエルファバが「もう善い行いなんて二度としない」と咆哮する『No Good Deed』のシークエンスは、それに匹敵するほどの衝撃でした。


真正面からエルファバを捉えた画角、その後ろに魔法陣のように展開し飛翔する猿軍団。格好よすぎでしょ!とんでもない闇落ちシーンでした。

対比としてグリンダとエルファバがコミカルに格闘するシーンでは、グリンダが杖をトンファーみたいにブンブン振り回すカンフーアクションに思わず吹き出してしまいました(両隣の方、すみませんでした)。でも、あの瞬間だけ学生時代の二人に戻るのが、その後の展開を思うと滅茶苦茶エモいんですよね。

そこから全てが収束し、物語冒頭へと繋がっていく展開も痺れたなぁ。前編を初見で観た時とは違い、学生時代から今日まで、あらゆることを経てきたグリンダのあの表情。「悪い魔女と友達だったの?」という問いへの答え。劇団四季の舞台を昔観たはずなのに、すっかり忘れていた自分にとっては、この完璧なプロットとフィエロを絡めたラストの展開はめちゃくちゃビックリしたし、最高に興奮しました!生きとったんかワレーー‼

映像の迫力と、ラストの意味

技術面でも、セットの実在感がもたらす迫力が段違いでした。最近はCGと実物の見分けがつかなくなってきてはいますが、実物セットで組まれたオズのシーンと比べると、やはりリアリティの差が圧倒的に出ます。予算がある強みをしっかり感じました。また、タイトルバックが出るタイミングも完璧。僕の「タイトルバックが出るタイミングが完璧シリーズ」に即追加です。

最後に魔導書が光った意味についてですが、映画版ではぼやかせてましたが、原典ではハッキリ意味が明示されているのかな?原作を知らない僕なりに3つのパターンを考えてみました。

1・グリンダが「善性」の真の意味を理解したことで、魔法能力が開花した。

2・エルファバが魔導書を渡したことで、所有権と共に魔法能力が引き継がれた。

3・エルファバが「私は無事だよ」という合図として光らせた(グリンダには引き続き魔法能力なし)。

個人的な好みとしては3番です。グリンダは「持たざる者」として最後まで魔法は使えないけれど、魔法なんてなくても必死に努力して勉強して、立派な「善き魔女」として世界を導いていく……という流れが、より彼女らしい気がします。それが同じく魔法を使えなかったオズのオジサンとの決定的な差別化になりますし。

最高環境で味わうべき「音楽の暴力」

この「音楽の暴力」を最高環境のIMAXで観られたのは本当に幸せな体験でした。間違いなく、極上のミュージカル映画です!これは是非劇場で観るべき映画、こんな素晴らしい映画体験をさせてくれた、全てのスタッフ様に心からの感謝を…!


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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