【アニメレビュー】「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」理不尽な14年と、必要な絶望。オジサンになって感じた「説明しない理由」。

アニメ

【ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q】

  • 鑑賞日 2026/1/10
  • 公開年 2026
  • 総監督:庵野秀明
  • 監督 摩砂雪、鶴巻和哉、前田真宏
  • 脚本 庵野秀明
  • キャスト 緒方恵美(碇シンジ)、林原めぐみ(アヤナミレイ(仮称))、宮村優子(式波・アスカ・ラングレー)、坂本真綾(真希波・マリ・イラストリアス)、石田彰(渚カヲル)、三石琴乃(葛城ミサト)
  • あらすじ 「ニア・サードインパクト」から14年後。成層圏からサルベージされたシンジが目覚めたのは、ミサトらが結成した反ネルフ組織「ヴィレ」の戦艦ヴンダーの中だった。かつての仲間から冷たい視線を向けられ困惑するシンジは、レイの声に導かれてヴィレを離脱し、荒廃したネルフ本部へと向かう。そこで彼は父ゲンドウと、謎の少年・渚カヲルに出会い、残酷な真実を知ることになる。
  • ジャンル 日本アニメ SF アクション
  • 鑑賞媒体 映画館 
  • お気に入り ◎

感想

月一エヴァ企画、今回は「Q」。 公開当時、僕が抱いていたのは「Qの内容そのもの」への不安よりも、「この後またテレビシリーズみたいに内面世界だけで終わってしまうんじゃないか?」という懸念でした。

しかし、その先があることを知った上で観る「Q」は、印象がガラリと変わり、次作が公開されるかどうかすら不安な状態で観る「Q」も貴重な体験でしたが、「シン」を経た安心感の上で観る「Q」は、最終章へのイントロダクションとして完璧!めちゃくちゃ面白かったです。

特典映像とアスカの想い

特典映像を編集して本編のプロローグに持ってくるの、すごく良かったです。

あの出撃前夜の映像で、アスカのシンジへの想いの解像度が跳ね上がりました。バカシンジ⇒ガキシンジ⇒ダメシンジという心ブチ折る三段活用を使いながらも、なんだかんだ見捨てないですもんねぇ。怒ってくれる人は大事なのです、好きの対義語は無関心なのですから。

廃墟ネルフという終末感とカヲル君

あの廃墟と化したネルフ本部の終末感はVRで散歩したいくらいに、すごく好きです。乾いた風と対照的な美しい青空と夜空。直島の地中美術館に行った時こんな印象でしたね。

でも、シンジ君にとっては監獄そのもの。 怒りや憎しみではあるけれど、しっかり人間としての温度があるヴィレと対照的に、廃ネルフにあるのは徹底的な冷たさ。

「機械のような無機質パパ」「とんでもない事実をブッ込んでくる冬月オジさん」「会話もままならない綾波もどき」「そして、マズそうなご飯…」

あんな環境に置かれたら、唯一の光であるカヲル君に縋りつくのは当然です。 男気を出して綾波を助けても怒られる、何もせずに殻に閉じこもっても怒られる。 「またシンジのせいで世界がとんでもないことに」と責めるのは、あまりに酷すぎるというものでしょう。

とにかく一貫してシンジ君が不憫です。世界から孤立する事、誰からも理解されない事、それを徹底して庵野さんは描きたかったのでしょうか。自殺も考えるほどバッシングされた人ですから、尚更に…

カヲル君もねぇ、「僕が第13使徒に堕とされるとは」とか呟いてないで、パワポ付きで丁寧にシンジ君に説明してあげれば槍も抜かなかっただろうに。 まぁ、そもそも彼はヒトではないので言語中枢が違うのでしょう。パパと冬月オジさんは当然説明するメリットがないですしね。

「説明不足」への納得解

上記に付随しますが、『Q』の最大の特徴である「異常なまでの説明不足」。これも公開当時から年を経て感じた事があります。

あれは、劇中で経過した「14年」という圧倒的な空白のズレや違和感を、観客にも味わわせるための演出だったのではないでしょうか。 仮にヴィレの面々が、シンジ君(僕達)に14年間にあったことを事細かに説明したとしても、彼らが「体験した経験」までは伝わらず、あくまでキーワードの羅列にしかなりません。僕達観客が受け取るのも、歴史の教科書の年号のようなもので、実感としては程遠い訳です。

例えば14年ぶりに会った友達と、その間にあった全てをたかだか1時間の飲み会で共有なんてできません。 「仕事クビになってね」「離婚してね」「親が亡くなってね」なんて事は瞬時には伝えられず、「色々あってね」「また今度ゆっくり話すよ」と濁すのが精いっぱい。

僕達に「そっか~、大変だったんだねぇ」と軽いニュアンスとして伝わってしまうリスク、安易に伝える事によってシンジ君の心が壊れてしまう恐れを考えれば、劇中で大人達が「あえて説明しない」という選択肢には十分な説得力がありました。

視点の変化:僕は「汚い大人」になりました(泣)

前回の『破』のレビューでも書きましたが、オジサンになって一番変わったのは、物語を俯瞰で観れるようになったことです。

中学生の頃観ていたエヴァは、良くも悪くも全て「シンジ君の目」を通して見た世界でした。 シンジ君が主人公で、特別で、世界の中心。シンジ君に自分を重ね、彼の喜怒哀楽に共鳴するので、「どうして大人がみんなこんなに冷たいんだ!」という感想になってしまう。

しかし、ミサトさん達の目線で観れるようになると、あくまでシンジ君は「沢山いる中学生の一人」でしかない。 思い入れのある人物ではありますが、世界の崩壊を許すまで特別な一人ではない。よしんば他の初対面クルーからしたら、憎しみの対象でしかない訳です。

「なんでこんなに頑張ってるシンジ君をもっと褒めてあげないんだよ!」という純粋な子供の自分から、 「可哀想ではあるが、世界の存続を懸ける上では犠牲になってもらうのは仕方がないかも」 という、汚く打算的な大人になってしまったのでございます。

『Q』があったからこそ

「序」・「破」で健全な熱いロボットアニメに生まれ変わった(ように見せかけて)、油断したかバカめ! と奈落の底に突き落とす。 やっぱりエヴァはこうじゃなくちゃなぁ。

他者との関わりを絶って「個」として生きるのは楽だけど、辛くても清濁併せ持つ世界(現実)へ出ようよ、という旧劇の完結から、今度はSNSなどで他者との関わりの上限が狂ってしまった現代へ。 あくまで崩壊を描いていたのは内面世界だけだった旧版から、今作は外界も徹底的に破壊する。「内」も「外」もシンジ君はダブルで崩壊してしまうのです。そしてその、徹底的な崩壊から長い道のりをかけて再生し、立ち上がり、一人立つ「シン」へ。

もし『破』のエンタメ路線のままで進んでいたら、凡百の映画で終わっていたことでしょう。世間の評価や売り上げよりも、エヴァという作品の純度を上げることに最注力してくれた庵野監督には大大大感謝です。

対比

面白い対比として、廃ネルフは「旧エヴァ」ヴィレは「新エヴァ」という構造にも見えます。シンジ君はそのどちらも行き来でき、そのどちらに心を落ち着かせるかも決めることができます。地の底で朽ち果てて行く廃ネルフと、空高く飛翔するヴィレと、その対比も興味深く、最終的にシンジ君はどちらを選ぶのか?その結末もとてつもない納得感でしたね。

そこには90年代のモラトリアムと、2010年代の震災を経た世相と、この両方の空気感や色彩を、見事に新旧のアニメで表していて面白かったです。

絶望の先へ

これだけ絶望を描いた『Q』も最後は、シンジ・アスカ・レイという物語の核とする三人が、同じ方向へ歩いていきます。大きな赤い砂丘の向こうを目指して。 この微かな希望感を持って終わるのが素晴らしい!庵野さん自身が自分を奮い立たせる象徴のように思えるし、実際、シンの仕上がりに僕は心震えたのですから。

ついに来月は月1エヴァ最終上映。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』満を持して挑みます‼


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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コメント

  1. 大変頷きながら拝読いたしました。
    ネルフとヴィレを新・旧の対比構造に当てはめている所がとても面白く、物語としての納得感が更に上がりました。
    “説明しない事で14年の違和感を体感させる”というのもとても合理的で、
    私も初見時に「何がどうなってんの!?」とザワザワした気持ちを思い出しました。

    あの時背中を押した責任と14年間の蓄積、ヴィレ艦長としての立場など、清濁合わせ飲んだ上でミサトさんなりの落とし前なのでしょうね。

    序、破を経てのQで、
    「エヴァはこうでなくちゃ」
    のお気持ちとてもよく分かります(笑)

    シンエヴァも楽しみですね。
    レビュー楽しみにしております!

    • コメントありがとうございますー!このブログを開設してからの記念すべき初コメントです‼大変感慨深いです(泣)

      とても細かくご丁寧に読んでいただき誠にありがとうございますm(__)m
      初見時のショックはすごかったですよねえ、テレビシリーズのトラウマ再び、という感じで…

      「行きなさい、シンジ君!」と言ってしまった責任、それでもDSチョーカーのボタンを押せない優しさ、そこからのシンのラストの、ミサトさんの覚悟は本当に泣けます。

      シンエヴァもよろしければ是非是非ご覧下さいませ♪