【映画レビュー】「マイケル」/天才の歪みが生む圧倒的な光!

映画

【マイケル】

  • 鑑賞日 2026/06/17
  • 公開年 2026
  • 監督 アントワーン・フークア
  • 脚本 ジョン・ローガン
  • キャスト ジャファー・ジャクソン、ジュリアーノ・クルー・ヴァルディ、コールマン・ドミンゴ、ニア・ロング、マイルズ・テラー
  • あらすじ 圧倒的な歌唱力と革新的なダンスパフォーマンスで、全世界のアイコンとなった“キング・オブ・ポップ”=マイケル・ジャクソン。幼い頃から厳しい父親のレッスンに耐え、兄弟グループ「ジャクソン5」としてスターダムを駆け上がります。やがて名プロデューサーのクインシー・ジョーンズと出会い、ソロアーティストとして前人未踏の音楽的創造性を爆発させていきます。しかし、世界的な大ヒットを記録する栄光の裏には、天才ゆえの深い孤独や父親の呪縛、家族への愛と自身のビジョンとの間で葛藤する一人の人間の姿がありました。
  • ジャンル アメリカ映画 イギリス映画 ドラマ 伝記
  • 鑑賞媒体 映画館 IMAX
  • お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)

感想

映画『マイケル』をIMAX鑑賞。

僕がマイケル・ジャクソンという存在を認識したのは中学生くらいの頃ですが、正直なところ、世界のトップスターというよりは「元スターのお騒がせおじさん」という印象の方が強かったです。もちろん、元々はものすごく偉大な人なんだろうなという朧気な知識は持っていましたが、僕の音楽史において、彼にどっぷりとハマるような機会はありませんでした。

それが今回の映画で、彼がどれほど規格外の逸材であったのか、その凄まじさの片鱗をまざまざと見せつけられることになったのです。

負の側面は描かないという事前情報

もともと、今作ではマイケルの負の部分はそこまで深く描かないと耳にしていたので、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た時のような深い感動は得られないかもな、とあまり期待しておりませんでした。しかしながら実際は、胸の奥がしっかりと切なくなるドラマに仕上がっていました。

個人の名誉が傷つかないように、負の部分はなるべくマイルドに、表面をなぞるだけにとどめられているにも関わらず、鑑賞後なかなかに胸にぽっかりと穴の開くダメージを受けてしまいました。これほどオブラートに包まれた描写でさえ心が痛むのですから、これから制作されるであろう後編を観るのが、今から怖くて堪りません。

IMAXがブーストする規格外の没入感と、色褪せない音楽のセンス

今回はIMAXで鑑賞したのですが、これが本当にすごかった!とにかく音圧が凄まじく、熱狂的な歓声のサラウンドによって、ライブ会場の真ん中にいるかのような半端ではない没入感を味わえました。失神者が続出するライブ参戦者と同様の興奮が、自分にもダイレクトに伝わってくるのです。

映画館じゃなければ「FOOOO‼」と叫んでいたかもしれません。マイケルのパフォーマンスが相当かっこよく見えたのは、この圧倒的な上映環境がかなりブーストしてくれていたからだと思います。

劇中で披露されるすべての踊りと歌が、文句なしにクール!もちろん、その様に計算されたカメラアングルや、演出でのおかげだとは思いますが、それを差し引いたとしても、令和の現代に聴いてもなお、歌声は全く色褪せていませんし、ダンスのキレの鋭さにはただただ痺れるばかり。テレビでよく見る「懐かしの映像特番」などで過去のスターを見ると、時代の流れでどうしても古臭く見えたり、どこかコミカルに感じられたりしてしまうことがありますが、マイケルの楽曲やパフォーマンスに関しては、今見ても完全に最先端のセンスを保っているのです。

一般的な80年代ポップスを聴くと、シンセサイザーなどの音色から「エモさ」や「レトロな雰囲気」を感じるものですが、マイケルの楽曲は今聴いても新しく、常に新鮮な響きを持っています。一般的には「メロディ」を核とする歌作りに対して、とにかくマイケルは「リズム」を重点的に構成しており、それがどの時代も普遍的に「本能的に気持ち良い」を作り出すことに成功しているのだと思いました。彼の特徴的なボイパもそれに拍車をかけてくれます。時代を超越したクオリティの高さには、本当に驚かされるばかりです。

人種や業界の壁をぶち抜く圧倒的なパワー

これほどまでに人々を魅了するマイケルの音楽ですが、その時代背景を考えると、彼のような黒人シンガーには業界からの凄まじい圧力があったはずですし、ファンたちの間にも根強い差別意識が存在していたと思います。それにもかかわらず、彼がそれらの高い壁を完全にぶち抜いて世界的な大ヒットを記録できたのは何故か、この映画では断片的に伝えてくれます。

その要因の一つとして、当時の音楽業界の常識を覆した圧倒的な視覚的インパクト。黒人アーティストの映像をほとんど流さなかった音楽専門チャンネルに対し、映画のようなストーリー性と驚異的なダンスを融合させたミュージックビデオを送り出すことで、大衆の心を鷲掴みにしました。

さらに、ブラックミュージックの枠にとどまらず、白人層に絶大な人気を誇るハードロックのギタリストを起用するなど、人種の境界線を越える音楽のクロスオーバーを仕掛けたこと。プロデューサー陣営の最先端のマーケティング。そして何よりも、言葉や偏見を一切寄せ付けない、ムーンウォークに代表される超絶的な身体表現の美しさがありました。「格好良い」という純粋な本能的衝動が、人々の心の中にあった差別意識を完全に上回ったからこそ、彼は全ての壁を突き破ることができたのです。

異様な私生活から透ける絶望的な歪み

実際のマイケルがどのような人物であったのかは、僕には知る由もありません。色々と都合よくフィクションが混ぜられた映画の描写からしか彼の人生を読み解くことはできないのですが、そこから見える限りの彼の人生は、終始歪で、あまりにも気の毒なものでした。

幼少期には、父親からベルトでしばかれるような厳しい特訓を受ける描写がありましたが、現実にはもっと激しい虐待があったのではないでしょうか。10歳という幼さで魑魅魍魎渦巻く芸能界に身を置く事、人格形成が完了する前にとてつもない大金を得てしまうという事。誰一人前例のない過酷な育ちを経た事によって、彼は異常に歪な精神状態のママ、身体だけ大人になりました。

自宅を玩具で埋め尽くし、大人の兄弟とツイスターをやりたがり、本当の感情を吐露できる相手は動物だけ。いつまでも家族と一緒に住み、異性の影は見えず、常に父親に怯えながら、母親とポップコーン片手に映画を観て、お偉いさんたちとのシリアスな会議の場でも一人オレンジジュースを飲んでいる姿は、あまりにも不調和でした。

彼は自宅でキリンやチンパンジーのような野生動物ばかりを飼育し、犬や猫のような一般的な愛玩動物を飼っていませんでした。野生動物は人間の都合で捕らえられ、檻に入れられて大衆の見世物にされてしまいます。世間という巨大な檻の中で、常に好奇の目にさらされていたマイケルは、彼らに自分の境遇を投影していたのかもしれません。今の様にSNSなどで内部事情を暴露できず、どんなことでも握りつぶすことが可能な超閉鎖的空間で、汚い大人たちの欲望にさらされながらどのような目に遭ってきたのか、映像からは想像することしかできませんが、あの異様な生活の描写からは、彼の抱えていた絶望的な歪みが痛烈に伝わってきたのです。

出自の貧しさと、父親の功罪

劇中で大人になったマイケルが行動している時にも、バックではジャクソン5時代の幼い彼の歌声が流れています。この演出は、彼がいつまでもあの頃の記憶のまま、大人になれないでいることを示唆しているのではないかと感じました。ですので、惜しむらくは、無粋とわかりつつも是非楽曲に字幕を付けて欲しかった。恐らく制作陣はその心境にあった曲を選別しているハズですし、それがわからない自分の英語力の無さがとてももどかしかったです。

父親の仕打ちも、映画でみる限りは毒親ではありますが、当時の黒人たちが置かれていた最底辺の暮らしから階層を這い上がるためには、あの苛烈な厳しさがなければ不可能だったのもまた紛れもない事実です。劇中、マイケルは黒人たちがギャングになって死んでいくニュースを静かに眺めていましたが、一歩間違えれば自分もそちら側になっていたかもしれないという恐怖、その過酷な環境を力技で変えることができたのは、良くも悪くもあの父親のおかげだったという皮肉が、彼に深い影を落としています。

それにしても、おとんのビジュアルが闇落ちしてから怖すぎでしょ(泣)金ぴかアクセをじゃらじゃらつけて、身体も一回り巨大にパンプアップされていて、その迫力はまさに範馬勇次郎レベル。映画だから大げさに強面の役者さん使っちゃってさ~と、実際のお父さんを調べて見たら、映画版がヌルく感じるレベルの更なる強面オヤジ!そりゃあ、あれだけの威圧感を面と向かって突きつけられたら、家族が逆らえなかったのも無理はありません…

創造者の業と、教科書の偉人にはない実存の切なさ

なぜ「マイケル」や「ボヘミアン・ラプソディ」がこれほどまでに胸にぽっかり穴を開ける切なさを感じてしまうのか、その原因を自分なりに分析しました。

まず一つとして、世の不条理ですが、クリエイターやアーティストという生き物は、得てして悲劇的な出自や心の傷から、天才的な作品を作り出してしまいます。「創造者の業」であり、マイケルの内面の歪みがあの圧倒的な作品群を生み出していたという事実そのものと、その生き様をもって亡くなってしまったという事があります。

しかしながらそれだけだと、これまでにも歴史上の人物や過去の傑物を扱った伝記映画はたくさん観てきたので、同様の感慨は受けるハズです。ですが、例えばビートルズやエルヴィス・プレスリーの伝記を観たとしても、僕の頭に浮かぶのは「白黒の映像」の彼らであり、どこか教科書に載っている偉人を眺めるような、遠い世界の話として客観的に観てしまいます。

しかし、Queenのフレディ・マーキュリーやマイケル・ジャクソンは、僕が中学生くらいの頃まで、実際にこの世界に同時に存在していた「カラーの映像」の人たちです。僕の昔の思い出の地平のどこかに、彼らが確かに生きて息をしていたのだという強烈な実存感が、切なさに拍車がかかるのだと思いました。その気になればこの人たちに会えたんだな、話もできたのかもしれないな、という絶対的な親近感が、津波の様に切なさで押し寄せるのでしょう。

そして最後の一因として、これからの時代において、彼らのような傑物は「二度と現れないだろう」という絶望感があります。レコードやテレビが普及し始めたあの時代だからこそ、世界中を同時多発的に熱狂の渦に巻き込むことができたのであり、彼の出自や育ちの特異性も含めて、今の時代に同じことを再現するのは不可能です。熱狂しすぎてライブで失神するなんて、娯楽が溢れている今の時代、まず経験できないでしょう。

まだまだ素晴らしい名作を世に送り出せたはずなのに、道半ばで亡くなってしまった悔しさや、本当に惜しい人を亡くしたという感覚が消えません。いっそ、年齢とともに人気が落ちぶれきって、全盛期の輝きが失われてくれたなら、こちらも自然とファンを卒業することができたのかもしれません。しかし、世界中が注目する圧倒的な輝きを保ったまま逝ってしまったがために、卒業すらさせてくれない。その未練のような悲しさが、ずっと胸に残り続けています。飲食店に通ってなかった奴ほど、潰れた時に残念がるのと同じく、当時ハマってなかったくせに、今さらで申し訳ないですが…

新しい世代への門戸と、時代を超えて響き続けるステップ

後になって彼の歴史を詳しく調べてみると、確かにダイアナ・ロスの存在や、妹であるジャネット・ジャクソンの不在など、映画の中では描かれていない重要な事象がたくさん浮かび上がってきました。僕は特に熱狂的なファンというわけではないフラットな立場で鑑賞したため、映画として十二分に楽しむことができましたが、当時の歴史を克明に知っているコアなファンからすれば、色々と物足りなさや不満が出てしまうのもわかる気がします。

ただ、この作品は映画『マンダロリアン』と同じように、その時代をリアルタイムで知らない新しい世代や、僕のように朧気な印象しか持っていなかった層に対して、彼らの世界へと導くための素晴らしい「門戸」として機能していると感じました。あえて要素を複雑にしすぎず、何よりも歌とダンスの圧倒的な格好良さを体験させることに特化したからこそ、予備知識のない若い世代をも一瞬で虜にする一級品のエンターテインメントに仕上がっているのです。

とにかく格好良くて、もう彼に会えないのだと叩きつけられる非常に切ない映画でした。当分の間音楽はマイケル一色になると思います。映画を通じて彼の孤独な心に触れたからこそ、今でもどこかで幸せに生きていてくれたらな、と願わずにはいられません。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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