【映画レビュー】「プラダを着た悪魔2」/落ちぶれてもなお,高貴で尊大な悪魔たちの戦い!

映画

【プラダを着た悪魔2】

  • 鑑賞日 2026/05/06
  • 公開年 2026
  • 監督 デビッド・フランケル
  • 脚本 アライン・ブロッシュ・マッケンナ
  • キャスト メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチ
  • あらすじ 2006年の大ヒット映画の20年ぶりとなる続編です。報道記者として活躍していたアンドレアは、カリスマ編集長ミランダと右腕ナイジェルが危機に直面していることを知り、特集エディターとして「ランウェイ」編集部に舞い戻ります。ラグジュアリーブランドの幹部となったかつての同僚エミリーとも再会し、それぞれの夢と野望がぶつかり合うなかで「ランウェイ」の存続をかけた物語が展開します。
  • ジャンル アメリカ映画 ドラマ コメディ
  • 鑑賞媒体 映画館
  • お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)

感想

僕はファッション界隈には疎い方で、ハイファッションもハイブランドもまるでわかりません。トップオブトップの装いともなると、それはボケてんの?と思ってしまうほど奇抜に見えてしまい、とても凡人には理解ができない世界です。

そんな僕でもかつて、2006年に公開された前作の当時は、まだまだアナログファッション誌が全盛の時代。そのきらびやかな職場には、純粋に観ていて惹かれるものがありましたが、あれから20年が経過し、世界は混迷を極め、明日をも知れぬ我が身で、果たして雲の上の人たちのキラキラした物語に感情移入ができるだろうかと、一抹の不安を抱きつつ鑑賞に挑みました。

時代に取り残される者たちへの普遍的な物語

結論から言えば、2は前作のようなファッション業界での立身出世ものから、「時代に取り残される者たち」というテーマにシフトしていました。それによって、あらゆる業界で働く人たちに刺さる普遍的な物語に仕上がっており、時代性を的確に捉えた脚本の妙には、さすが!お見事です!

もしアンディーが出版社をクビになったり、ミランダが退陣に追い込まれたりといった、表層的な出来事だけで物語を紡いでいたならば、「ゆうて、十分貯金ありそうだしな。ゆっくり老後を過ごせばいいんじゃない」と僻んで終わりだったと思います。2026年現在は前作2006年当時に比べて世の閉塞感が相当に増しているように感じるのです。

2006年と2026年を分かつ圧倒的な格差

当時も貧富の格差は存在していましたし、資本主義のエグさを覗き見し始めてはいましたが、携帯電話はガラケーで、ネットの世界はブログが主体、やっとこさニコニコ動画がようやく出始めた頃。今のように世界を繋ぐSNSはなく、GAFAMといった単語も存在しませんでした。まだまだ半径数百メートルだけが自分の世界であり、スクリーンの向こう側にあるきらびやかなランウェイ誌を眺めては、いつか自分もあんな職場で働きたいと夢を観ることができた時代でした。

かたや現在は、資本主義の肥大化はもう後戻りができなくなり、超巨大企業が世界を支配する、圧倒的な格差社会となりました。否が応でもSNSによって自分の立ち位置を突きつけられてしまい、夢を見ることも許されません。そんな世界において、もはやかつてのように「プラダを着た悪魔」を信奉することはできないし、あの人たちは絶対的なピラミッドの上層部に位置する生物であり、自分はどうあがいてもそこにはたどりけないという現実があります。そんな天上人の進退について描かれたところで、こちらとしては給料から引かれる税金や家のローンの方が切実な問題だというのが正直なところでしょうか。

崩れゆく特権階級と「失われていく伝統」

ですが、制作陣はそうした世相を十分に理解しており、前途したように今作を1のような成長物語ではなく、「失われていく伝統」という大きな主題にフォーカスさせました。そのおかげで、彼女たち個人のドラマから、世界中の全ての働き手たちが共感する事象へと転換され、より深いドラマツルギーを作り上げることに成功したのです。

同時にそれは、女帝ミランダですら広告主には逆らえず、栄光を極めたランウェイ誌ですらデジタルの波には抗えないという、今までの特権階級が崩れていく様であり、僕ら庶民にとって、それはどこか溜飲が下がる効果もありました。ミランダがかつてアシスタントに投げつけていたコートを、自分でしどろもどろにハンガーにかけたり、海外出張がエコノミークラスに格下げされたり、そこには同情もありますが、「いやいや、それが普通ですよ」と心のどこかで思ってしまう。コミカルでありながら、諸行無常や栄枯盛衰を見事に映像化できてたのです。

ファッションショーの場面についても、一昔前ならひたすら煌びやかでゴージャスに、観客が羨ましがることに特化させていたはずです。しかし今回は、参列者たちもインフルエンサーがメインなのか、どこか俗悪で低俗っぽく、「なんか、この会場のノリキツイな…」と思わせるような作りでした。それは品性よりもブランドロゴを前面に押し出す、エミリーを代表とした、不景気ゆえの現代の思想にもつながります。

コスパに切り捨てられる叡智への危機感

ですが、ただ金持ちが落ちぶれるのを観て楽しむだけでは、なんのカタルシスもありません。さらに深いレイヤーとして、ランウェイ誌が持つ伝統という財産、連綿と培ってきたファッション史という超教養。それらのかけがえのない叡智が、「コスパ」という名のもとに切り捨てられてしまうという危機感を描いてくれた時、初めて、僕はミランダやアンディーを応援したくなりました。

デジタル配信によって滅んでいく紙媒体や、AIによって不必要となってしまうスタッフたち。まさに今の今、最もこの時代性を表した主題を、よくぞこの映画で表現してくれたものです。今作が2026年に公開されたのは、まさに僥倖で、これより前だったり後だったりしたら、このテーマがここまで深く刺さらなかったかもしれません。

というのも、世で言われてる2026年はAI元年、今年はその技術がシンギュラリティを起こすとも言われており、それを裏打ちするかの様に先日、今までのAI全てを過去にする超火力の「ミュトス」が発表されました。もはや数ヶ月後の未来さえどうなるかわからない状況です。ですので、今作の公開が去年でしたら「大げさな」と一笑され、来年でしたら「何を今更」と冷笑されていたかもしれません。技術的特異点が起こる可能性がとても高いこのタイミングで、「伝統とは何か」というテーマを冠する今作を観れたのは非常に価値のあるものでした。

沈みゆくタイタニックと老兵の引き際

もう一つ個人的にとても感動したのが、とてつもない速度で変わっていく世界に対して、この映画を夢物語で終わらせなかった事でした。少年漫画のように、「世の中がどうであっても、俺達は大事なものを守り抜くんだ!」といった抽象的なお花畑に逃げずに、しっかりと現実を伝えてくれます。

イタリアのフレスコ画を前にして、ある実業家がミランダに対してこう語る場面がありました。「周りを見てみろ。ここはかつて世界を支配した大帝国だったが、残っているのはこの遺産だけだ。世の中の変化はポンペイ火山の溶岩のように、またたく間に全てを呑み込んで行く」と。かつてのミランダであれば、烈火のごとく反論していたことでしょう。でも、この20年間第一線で戦い続けた彼女は、誰よりもその苛烈な変化に打ちのめされ、その現実を骨身に染みて理解しているのです。だからこそ、目に涙を浮かべながら、ただ一言「そうね」と言い残して去って行く。

また別の場面では、車内でアンディーに「私たちは沈みゆくタイタニックのかけらみたいなもの」とつぶやきます。老兵はただ去るのみ、ではありませんが、グローバル責任者への出世のために戦い、現代のレギュレーションに合わせて毒舌を封じ、子どもの成長も見れず、仕事のためにあらゆる代償を払った結果、待ち受けていたのは情け容赦ない時代の変化。その事実を以て、パートナーに嘆く「引き際がわからない」という言葉には、胸がぎゅーっとなりました。

かつての産業革命やルネッサンスなどの技術革新により職を失った職人たちや、火器の進化によって衰退した中世の騎士たちのように、時代の繋ぎ目で必ず起きるハレーション。その最新版に今いるという事が、改めてとんでもない時代に生きてるな、と恐れ慄きます。

泥臭く、高貴で尊大な悪魔の再来

ですが、この映画はそこで終わりません。ミランダとアンディーはそんな現実を受け入れつつも、ただ素直に滅びることを良しとはしませんでした。自分たちにできる精一杯の力で、少しでもランウェイらしさを残せるように奮闘します。大きな時代の波の前では無駄な抵抗かもしれませんが、それでもあのフレスコ画のように、ほんの少しでも未来に伝統の一部を残せるかもしれないと信じて。

この先訪れるであろうAI革新の世界で、人間らしさを残すとはどういうことか。一つの方向性をこの映画が教えてくれました。最後まで見終わっても、やはりファッションのことは一ミリも理解できませんでしたが(化繊のジャージが楽そう(笑))、そのファッションが持つ歴史、普遍的な価値、そしてそれを繋ごうとする情熱というものは、とめどなく伝わってきました

1のお洒落さを廃し、泥臭く地に落ちながらも、なお高貴で尊大な悪魔の姿を見ることができて、本当に良かったです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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