【アニメレビュー】「レミーのおいしいレストラン」/大人も子供も楽しめる、完璧すぎたアニメの理想形。

アニメ

【レミーのおいしいレストラン】

  • 鑑賞日 20260502
  • 公開年 2007
  • 監督 ブラッド・バード
  • 脚本 ブラッド・バード
  • キャスト パットン・オズワルト(岸尾だいすけ) ・ルー・ロマーノ(佐藤隆太) ・イアン・ホルム(浦山迅) ・ブライアン・デネヒー(麦人) ・ピーター・オトゥール(家弓家正) ・ブラッド・ギャレット(有川博) ・ジャニーン・ガロファロー(甲斐田裕子)
  • あらすじ 『Mr.インクレディブル』などを手がけたブラッド・バード監督による長編CGアニメーション映画です。舞台はフランス・パリの5つ星レストラン「グストー」。ずば抜けた味覚と嗅覚を持ち、密かに一流シェフになることを夢見るネズミの「レミー」と、不器用で料理の才能が全くない見習いシェフの青年「リングイニ」が出会います。2人はレストランの厨房で密かにタッグを組み、数々のトラブルを乗り越えながら、料理を通して友情と成長の奇跡を起こしていく姿が描かれています。
  • ジャンル アメリカアニメ(ディズニー・ピクサー) ファミリー、コメディ
  • 鑑賞媒体 ディズニープラス
  • お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)

感想

完璧なプロットに完璧な演出。恐るべき全盛期のピクサーの姿がそこにありました。溢れる暗喩をことさらに語らず、控えめでありながら、雄弁に描く。子どもはテンポの良いアクションで楽しみ、大人はその裏に潜む普遍的なテーマに感動する、まさに完璧オブ完璧すぎるアニメーションの理想形。

言わずもがな、レミーたち嫌われもののネズミが意味するものは、弱き者たち、疎まれし者たち、日陰に追いやられる者たち、移民や人種、すべてのマイノリティです。特に移民をメタファーとした場合、2007年の公開当時と2025年の現代とでは、世論がまるで変わっているのも切なく、打ちのめされました。

突きつけられる排外主義の影

冒頭の老婆がショットガンでレミーたちを撃ちまくるシークエンスは、コメディテイストで笑ってしまうようには作られていますが、執拗に毒ガスを用いてまで排除しようとする姿は、徹底的な排外主義を描いていて背筋が凍りました。屋根裏から逃げ出す様はアンネのようであり、ビンに閉じ込められて河に流されようとする描写はアウシュビッツにも繋がります。

レミーたちにはレミーたちの生きる理由があり、老婆には自分の領域を守る正義がある。のっけから、このように答えのないテーマを、コミカルにテンポの良いアクションを見せてくる事に腰を抜かしました。

その後、レミーは下水に飲み込まれ、物語の基本中の基本である「トンネルを経て此方から彼方へと至る」プロセスを辿ります。子どもでも直感的にわかるよう、二手に分かれた水路を家族と別の方向へ進む。これを以って、レミーはネズミという本能と、決定的に後戻りの出来ない違う道へ進んでしまったのだというメッセージ。手を抜かず、ちゃんとこういう丁寧な技法を用いている作品がどれだけあるでしょうか。

想像の産物としてのメンター

この段階で現れるグストーの幽霊を、ジーニーのような実存のものとせず「私は君の想像の産物だよ」とかなり早い段階で提示したのが素晴らしいです。人語を理解するネズミ、という要素一つでかなり大きなファンタジー切り札を使っているので、ここでさらにグストーの幽霊が存在してしまうと話がとっちらかりますし、リアリティラインの収拾がつかなくなるでしょう。

彼に「盗みをするな」と言わせ、レミーの良心としての役割にすることで、物語が大人でも観られる深度までぐぐっと深まりました。そのメンターとしての役割が父親でも兄弟でもなく、一度も会ったことがないグストーである点も実に興味深いです。映画『桐島、部活やめるってよ』の桐島のように、一度も舞台に現れないのに、全登場人物に絶大な影響を与えて物語をドライブしているのが、技法としても演出としても憎らしい。彼はラセターの分身として制作されたのかもしれませんね。

凸凹タッグが生む脚本の妙

リングイニの属性も絶妙です。今までの仕事はどれも長続きせず、母親のコネで入れたレストランでもまともに雑用もできず、じゃあせめて人間性に救いはあるのかというと、失敗を隠そうとする姑息さも持ち合わせています。主人公としては到底感情移入できないダメダメ男ですが、その要素すべてが、彼の成長物語とレミーとタッグを組ませる理由として、見事に有機的に脚本と絡んでいて、無駄なところが一切ありません。

恵まれた環境を与えられても努力ができないリングイニと、天才的な才能がありながら出自のせいで差別され続けるレミー。このデコボコタッグが、これでもかという試練を一つずつ乗り越えて昇華されるラストは、もう鳥肌と喝采が止まりませんでした。

ファンタジーとリアリティラインの塩梅も物凄く、鉄人28号のごとく、髪の毛を操作レバーとしてリングイニを操る設定には、あー!そんな発想があったかー!と爆笑&脱帽しました。そのアイデアだけだったら突飛なものですが、ちゃんと二人の修行場面を丁寧に描くことでこちらに説得力を与え、ご都合主義にならないように工夫されております。

ビジュアルに潜む無意識の差別

またビジュアル面でもよく考えられており、レミー単体だと可愛らしく愛着が湧く動きやデザインを徹底しているのに、ネズミたちが群体となった時は、思わずゾワッとしてしまう気持ち悪さを感じるように描かれています。自然空間でのネズミたちはのびのびと、でも人工的な空間の中では害獣のような描き方に使い分けているのは天才としか言いようがありません。

その思わずゾワッと気持ち悪く感じてしまう感覚は、イコール自分の中にある無意識の差別心そのもので、それに気づいた時、観客にとてつもない罪悪感が生じるように計算されています。ネズミたちは慌てて必死に逃げているだけですが、その群体の動きにどうしようもない嫌悪感を抱いてしまい、結果として、人間側のなんとしても彼らを排除しようと躍起になっている姿は、鑑賞している僕の姿そのものです。

フランス、厨房という舞台が持つ意味

もう一つ深いレイヤーとして、舞台がレストランの厨房であり、彼らはシェフであることから、「ネズミを迫害するのは当然である」という大義名分を設定として組み込んでいることがあります。僕たち観客も無意識下でそれを読み取るので、その迫害行為に、なんとなくの正当性を持ってしまう。不潔だから、病原体を持っているから、食材を盗むから、「殺すのは当然だよな」と。

全編コミカルに描かれていますが、シェフたちが手に持っているのは、包丁、ガスバーナーなど、殺傷力が尋常でないものばかりで、いかにネズミたちを憎んでいるかが読み取れます。

さらに制作者の計算に唸ったのは、料理なんてどの国でもよかったのに、あえてフランスという設定にしたことです。かつてペストの大流行がネズミのせいで起きたという潜在的な恐怖を、国民が歴史で学んでいるという土壌も加味しているのだからすさまじい。

その緻密な計算によって生じる、ネズミたちに対する人間たちの嫌悪感。レミー個人はちゃんと手を洗って清潔にしているのに、「ネズミ」という属性というだけで、問答無用で排除されてしまいます。

それはつまるところ、〇〇人だから、〇〇の生まれだから、〇〇の宗教だからと、個人の努力ではどうしようもない属性で差別し、大量虐殺してきた人間の歴史そのものです。主役をドブネズミにしたこと、舞台をフランスにしたこと、才能の発露を清潔が必須である料理にしたこと、唯一の理解者であるバディを清廉潔白にしなかったこと、すべての要素が完璧なパズルで構成されていて、とてつもない仕上がりになっております。どれだけの天才たちが会議に会議を重ね作り上げたのか、現在の「ピクサーどうしてこうなった!(泣)」と思わざるを得ません。

属性を超えた真の理解者

上記のプロットだけでも名作確定ですが、制作陣はさらなるブラッシュアップとして、「男社会で弾圧される女性シェフ」という一大要素をさらにブッ込んできました。

さすがに思想を詰め込みすぎでしょ、よくある「欲張っていろいろなテーマを詰め込んだ結果、すべてが薄味になってしまう」パターンではないかと舐めてましたが、ジャンピング土下座です!彼女が入ることによって、リングイニとのロマンスという閑話休題が入りつつ、「もう一人の差別されるもの」という、この物語を大大大ブーストさせる要素になっておりました。

様々なイニシエーションを経て、自己開示を完了したリングイニが、正直にシェフたちにレミーの存在を明かしますが、とてもいい人たちに見えた彼らでさえ、レミーを受け入れられず、去っていきます。その場面も演出が適当だったら、「冷たい奴らだな!」と思ってしまうところですが、前述した制作陣の緻密な計算によって、誇り高いシェフであればあるほど、それも仕方ないよなと観客も納得してしまいます。

コレットも同様に去ってしまうのですが、その時脳裏に走るのは尊敬すべきグストーの「誰でも名シェフ」という言葉。才能がありながら女性というだけで差別され続けた彼女だからこそ、才能がありながらネズミというだけで差別され続けたレミーを唯一理解できる。自分の益になるからとタッグを組んだリングイニと違い、彼女だけがレミーの真の理解者たりえるのです。

それに気づいたコレットは、青信号で次々と通り過ぎる車群の中で唯一立ち止まります。交差点の先は青信号が示す安全な世界ですが、彼女だけは彼らと同じ「差別する側」に成り下がるわけにはいかないと、踵を返すのです。もうね、この場面の鳥肌たるや!なんと美しく荘厳なシークエンスを作り上げるのだろうと感銘オブ感銘ですよ。この作品で一番好きなシーンです。

今作の登場人物全員の中で、彼女だけがレミーと対等にキッチンに立てます。リングイニも反省をし、自己開示を終えたとはいえ、料理に関して何の努力もしていないわけですから、当然彼らと同じ世界にいてはいけません。これが三人で和気あいあいと料理をしていたら興ざめもいいとこですよ。

だからラストでもあくまでウェイターとして、その二人を支えます。この三人の関係も完璧ですよね。三人が自分の才能を理解し、相手を思いやり、それぞれの場所で輝く。移民する側も受け入れる側も、自分の能力を理解し、正しく他者のために使って初めて差別はなくなり、融和できるという、とてつもない普遍的なラストに拍手・拍手・拍手!

アルゼンチンへの移民の記憶

話は逸れますが、僕の祖父母はアルゼンチンへの日系移民でした。彼らの「郷に入れば郷に従え」の精神は、生業とされたクリーニング業や花・野菜栽培で顕著に発揮され、現地住民と融和しながらその真面目な働きぶりはのちに絶大な評価を得ました。

幼少期、僕がアルゼンチンに住んだ時に、現地のアルゼンチン人たちの日系移民に対する信頼は、肌でひしひしと感じたものです。「彼らに任せておけば大丈夫」という言葉を何度聞いて、誇らしく思ったことでしょうか。今回のレミーを観て、敬愛すべき祖父母の事を思い出しました。

悪役と家族が持つ重層的な背景

さて、ここまで分析して、もう十分!もうこれ以上はさすがに詰め込みすぎだよ!とお腹一杯の所に、料理長のスキナーや料理批評家のイーゴに関しても、舞台装置的な悪役にせず、しっかり背骨のある人間味溢れるキャラに作り上げているのは信じられない構成力です。

一見ただの小物に見えるスキナーも、異常な低身長で、ことあるごとに脚立や椅子を使わないとキッチンにすら立てません。そんなコンプレックスとハンデがありながらも、超一流のグストーの副料理長にまで上り詰められたのは確かな腕と努力があったからでしょう。彼もまたグストーの「皆が名シェフ」の理想に救われた一人であったはずです。ですが、欲に勝てずレミーやコレットとは違う道を選んでしまいました。この切なさも、大人には染み入る要素です。人生は理想論だけではどうにもなりません。スキナーもまた、救うべき「差別される側の人間」だったのかもしれない。

そして、この作品屈指の名シーンであるイーゴの食事場面。そのメニューが「ラタトゥイユ」というのは、伏線がエグすぎでしょ!というのは言わずもがな、一口食べて一瞬映る彼の幼少期、泣いている後ろには壊れた自転車があった気がしました(一回しか観てないので定かではありませんが)。

彼もまた差別される側の人間だったのか、詳しい説明はありませんが、凝り固まった偏見を打ち砕かれ、同じく「誰もが名シェフ」の理念に救われます。彼の「評論家とは気楽な稼業だ。危険を冒すこともなく、料理人たちの必死の努力の結晶に、審判を下すだけでよい」というのは至高の名言で、これは創作者への敬意として、僕自身もいつまでも忘れずにいたいです。

ネズミ側までも描くキャラクター背景

人間側だけでもこれだけ複雑な関係性をプロットにぶち込んでいるのに、レミー側の家族も手を抜かず見事に昇華を描き切っています。

父親にはちゃんとネズミとしての矜持があり、日陰者で迫害されながらも「盗みをしてはならない」という誇りをしっかり持っている。レミーの良心として度々出てくるグストーの「盗みはするな」という忠告も、実は父親の言葉として彼の脳裏に刻み込まれていた、という事実には胸が熱くなりました。レミーのストーリー上の障害としてのただの頑固親父という記号として描かず、彼にも血肉が通った理想があり、一族を守ってきた信念があるのです。

それは観客の誰もが経験のあるジェネレーション上の衝突で、時代が変わるごとに必ず起きる親子間の軋轢。才能に溢れ、好奇心に満ちたレミーにとって、父親は頭の固い古い体質にしか見えないのですが、彼がレミーに見せた罠店の中に吊るされたおびただしい駆除されたネズミの死体に、今までいかに壮絶な人生をサバイブしてきたかがわかります。どれだけレミーの言う理想が甘っちょろく現実が過酷なのか、今作は逃げずにしっかりと描いているのです。

さながら過酷な戦中を生きた親世代と、平和な戦後を生きる子供世代の圧倒的な断絶を表したかのような一面。正直子供向けのアニメに、ここまで描くのか、と震えました。

それだけでなく、成功しかけているレミーの足を引っ張るかのように、同族たちが食べ物をわけてくれとすがってきます。その為にあれだけ守っていた教訓を破り、盗みを働いてしまうのですが、それはイタリアンマフィアやアメリカのブラックハーレム、世界中の半グレ世界に見られる、「才能持った若者がその環境から抜け出せず同族によって再度引きずり込まれる」という悲しすぎる現実を叩きつけてくるのです。そして、それはイコール、そんな貧しい集団を今日まで維持し、導いてきた父親の有能さを証明する要素でもありました。

完璧なパズルの終着点

かように、すべてのキャラが多彩なレイヤーを持っており、だからといって説明過剰になることもなく、おしゃれにさらっと描いています。しかも、それを1時間50分という短さで、詰め込み感もなく、です。制作陣は本当に化け物かよ、すごすぎる!

レミーの存在をフランス中が知って受け入れるというラストだとファンタジー過ぎて安直ですし、かといってその才能を誰も知らないというのも救いがありません。レミーもコレットもイーゴもリングイニもネズミたちも、それぞれが自分たちの居場所を見つけ共生するという、ご都合主義ではない実にピクサーらしい夢のあるラストでした。夢見過ぎずシニカル過ぎず、最後まで完璧です。

冷凍食品が完全な悪いものとして描かれているので、それだって忙しいシングルマザーを助けているのだというところまで描いていたらすごかったですが、それは蛇足過ぎますね(笑)。

なかなか縁がなく今日まで観ることがなかった今作ですが、世界中が激動のいま、分断が深刻な時代に、この名作を観ることができて本当によかったです。ラセター率いるピクサーの黄金期の凄まじさをマジマジと見せつけられました。色褪せぬ超名作!


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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