【映画レビュー】「90メートル」/言葉を交わすことの重みと、日常という名の宝物。

映画

【90メートル】

  • 鑑賞日 2026/04/15
  • 公開年 2026
  • 監督 中川駿
  • 脚本 中川駿
  • キャスト 山時聡真、菅野美穂、南琴奈、田中偉登、西野七瀬、荻野みかん、朝井大智、藤本沙紀、オラキオ、金澤美穂、市原茉莉、少路勇介
  • あらすじ 難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う母親の看病を続ける高校3年生の息子と、我が子の希望ある明日を願うシングルマザーの姿を描いた人間ドラマです。母の世話を優先するために大好きなバスケットボールを辞めた息子・佑が、東京の大学進学という夢と、日に日に自由を失っていく母を一人残す現実との間で葛藤する姿を、中川駿監督の半自伝的作品として描き出しています。
  • ジャンル 日本映画 ドラマ
  • 鑑賞媒体 映画館
  • お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)

感想

映画『90メートル』。冒頭のあるシーンで、ハッとタイトルの意味を理解する。終始母親が口にする「大げさにしないで」という言葉通り、過剰な説明もお涙頂戴の演出はありません。巷に溢れる安易な感動押し付け映画とは一線を画した真摯な作りと温かい目線で、センセーショナルな不幸や派手な感動に逃げることなく、丁寧に丁寧に親子の愛が紡がれていました。

ヤングケアラーという現実を映し出す静かな筆致

冒頭、居眠りしている高校生の背中から始まりますが、机もベッドも彼の体に対して少し小さい。きっと買い替えるタイミングもなかったのでしょう。本作はヤングケアラーをテーマにしていますが、この様にさりげな描写で物語は進み、ことさら悲劇的にしたり、お涙頂戴にしたりせず、あくまで親子のドラマとして描ききったのは見事でした。

特にタイトルの「90メートル」が意味する冒頭とラストの対比はとても感動しました。90メートルの説明はなかった方がもっともっと感動できたかとは思いますが(あの場面は相当監督も迷ったと思いますが)、それでも、何もかもを説明しないと見てもらえないこの時代に、もっと過剰に演出できたはずのところをググっと抑えたのは素晴らしかったです。

ALSは病気の中でも屈指の辛さだと思うのですが、作中では24時間365日ヘルパーさん達が待機しているという、こうした映画にしては珍しく恵まれたシチュエーションで描かれています。ヤングケアラーというテーマも相まって、映画『市子』のように辛く苦しい方面にドラマを組み立てることもできたはずですが、暖かい人たちに囲まれて進行するドラマというのは、これはこれでリアリティがあって良いと思いました。

だからといってテーマが軽くなることはなく、このシチュエーションでしか描けないドラマツルギーがしっかり描かれており、だからこその対比として、このようにヘルパーさんに恵まれず孤独に闘病している人も数多くおられるのだろうと想像もできて、滅茶苦茶心が痛くなりました。

太陽のような人柄が支える絶妙なバランス

良い意味でトラウマにはなりにくい爽やかな構成なので、幅広い層に見てもらえると思います。この大変に重い病気を題材に、辛くなりすぎず、かつお気楽になりすぎずというバランスで作り上げたのはすごいです。

どちらかに少しでも偏ってしまったら僕の大嫌いなお涙頂戴クサクサ映画になるところを、真摯に丁寧に描ききっていましたが、そのバランスの一端を見事に担ったのは、やはり菅野美穂さんの持つ太陽のような人柄だと思います。

彼女は筋肉が硬直し、うまく話せないながらも「さんきゅ」「はいよ」と軽口を叩いて家庭内を和ませます。まさに「大げさにしないで」がモットーの人でした。監督の半自伝的な作品との事で、実際のお母様もこの様に強い方だったのでしょうか。

同時に、ちゃんと辛くて苦しくて何度も泣いてしまう一面も逃げずに描いていたからこそ、人の持つグラデーションをしっかり属性として作り上げていた。彼女が目を覚まして涙を流しながらヘルパーさんに言う「実は病気は夢だった、という夢を見た」というシーンには胸が抉られました。そんな幸せな夢を見て、目を覚ました時に自分の身体が動かない現実に戻った時の絶望感はいかほどか。僕は特定の宗教を持っていませんが、こういう時のために宗教は必要なのか、と思いました。神にでも縋らなければ、こんな理不尽には耐えられない。

「話し合うこと」の難しさと大切さ

終盤、主人公が放つ「みんな僕を見ると、大変だね、という目をする。まるで母が悪い事をしたみたいに思われる。母は可哀想じゃありません、すごい人なんです。」というセリフには、とても考えさせられました。同情することと寄り添うことの違い、それは相対する人によって千差万別で正解なんてないということ。それが母親の言う「大げさにしないで」とイコールということ。

だからこそ、この映画で一番身にしみたのは「話し合うことの大切さ」でした。

母は子を想うがあまり、自分の終末について話せません。子は母を気遣うあまり、将来の相談ができません。そして部活を抜ける自責の念から親友にも自分の状況を打ち明けられない。相手を想うがあまりの「話し合えない」状況が登場人物全員に散りばめられていて、それがゆえに全員が傷ついてしまいます。

主人公が周りに助けを求めたとしても、それで根本が解決することはありません。教師に「困った事があったら相談しろよ」と言われたところで、彼の権限でできることも知れています。その積み重ねが「話すだけ無駄」という諦めに変わっていきます。それだけに話し合うということがいかに難しいかということなのですが、特に日本人という民族の察する文化ではそれが顕著に思えます。日本のドラマのほとんどが「それもっと早く話し合ってれば解決してた事じゃん!」ということが往々にしてあるのです。

あくまで僕のイメージですが、海外では子供の頃からディベート教育があり、物事の解決のために率先して話し合うことに抵抗が少ない気がします。それは隣人が宗教も文化も違うのが当たり前の世界で、まず「話し合わないと話にならない」というのがベースだと思うからです。これから日本も様々な荒波に船出する中で、黙して察してでは限界があります。今作のように「ちゃんと話し合おう」というテーマを真摯に作ってくれるのはめちゃくちゃ大事だと思いました。

実際、先述した教師の「何かあったら相談しろよ」という言葉によって、彼の進路は開かれるのです。無駄に思えても何度も真摯に話し合いを重ねること。それは理想論かもしれませんが、今の世界で一番必要とされていること。その大きなテーマに、いずれ話せなくなるこの病気を設定に置いたのは大変に重く、切実で、言葉というものがいかに大事なことかを伝えてくれました。

予定調和を覆すリアリティと細やかな描写

家族の不幸を題材にする作品では、主人公にヒーローやヒロインが脈絡もなく現れて好意を持って支えてくれるパターンが多く、それに遭遇するとちょっとリアリティの欠如にガッカリすることが多いです。現実は泣きっ面に蜂ではありませんが、不幸な境遇には更なる不幸が被さる負のループですし、安全圏の人間は安全圏の人間同士でつるむのが世の常だからです。

今作も校内でのカーストが相当上の美少女が、介護に疲れ切って陰鬱としている主人公にキラキラした笑顔で好意を寄せてくるので、「ちっ、また男性監督特有の少年漫画ハーレムご都合妄想パターンかよ」と冷めかけました。しかし、そこにはちゃんとした理由があり、彼女自身にもしっかりとした背景も設定されておりました。

「環境に負けるなんて嫌じゃん」という彼女の強い意志に、それを受け止めた主人公のその後のプロットの流れは実に感動的。見事に気持ちよく監督の手のひらで転がしてくれました。

彼女との関係性もありきたりな安っぽい恋愛ものにせず、親友との確執もクサい友情ものにせず、適度に抑えた大人の着地点。辛いのは主人公だけでなく、誰だって何かしら問題を抱えているのだという作りは、物語に深みを与えてくれましたし、それらの問題の解決に必要だったのは、やはり「話し合い」でした。

とはいえ、彼女には「ごはんよー」と呼んでくれる家族がおり、親友には豪華なお弁当をつくってくれる母親がいる。そんな描写をさりげなく入れることによって、それでもやはり主人公の辛さはレベチだなという対比を見せてくれる細かい手腕が超ニクイですね。

かけがえのない日常を守るために

明日自分や大切な人が、急に難病になるかもしれない。想像はしても、リアルに考えることは難しいです。というより、考えないから生きていける。考えないことも、立派な防衛策であり処世術だと思います。

それでも、こういう映画を観た後は、妻の身体が急に動かなくなるかもしれない、親の死は明日訪れるのかもしれない、友達とはもう一生会えないのかもしれない、まだまだ一緒にいれると信じている猫たちともいつ別れが来るかわからない、そう考えさせてくれる。だからこそ、大事にしようと思わせてくれる。エンディングテーマの「おかえり、今日はどんな日だった?」の歌詞が、深く深く心に染み入りました。

健康でいられるよう僕もできるだけ気をつけようと思いましたし、大切な人を大事にしようと改めて思わせてくれるこの様な映画との出会いは、本当に宝物です。制作陣の皆様、ありがとうございました。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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