【チェンソーマン】
- 鑑賞日 2025/09/18
- 公開年 2025
- 監督 中山竜
- 脚本 瀬古浩司
- キャスト 戸谷菊之介, 坂田将吾, ファイルーズあい, 井澤詩織
- あらすじ 悪魔が蔓延る世界で、借金まみれの少年デンジは、相棒のチェンソーの悪魔ポチタと共に、デビルハンターとして借金返済のために生きていた。デンジは、チェンソーの悪魔と契約し、チェンソーマンとして、公安のデビルハンターとして様々な悪魔と戦う。
- ジャンル 日本アニメ アクション
- 鑑賞媒体 アマゾンプライムビデオ
- お気に入り △(×、△、〇、◎の四段階)
感想
アニメ版『チェンソーマン』について、原作ファンとしての期待と、実際に視聴して感じた独自の魅力を整理してみました。
本作は「既存のアニメ表現」から脱却しようとした、非常に挑戦的で野心的な作品であることは間違いありません。そのチャレンジ精神自体は高く評価したいと感じています。
ただ、それが僕の好みと大きく乖離していたので、批判的な感想が多くなってしまいます。不快に感じてしまいましたら、大変申し訳ありません。
映像表現における「写実性」がもたらしたもの
ストーリーの面白さは原作で保証されていますが、肝心のアクションシーンがモーションキャプチャ主体で、リアル志向に寄りすぎている点が気になりました。引きの絵でオシャレに見せることが優先され、僕が『チェンソーマン』に求めていた、原作のようなゴリゴリにパースの効いたド派手なアクションではなかったのです。
監督が意図したであろう「邦画的な写実性」は、原作特有の勢いや荒々しさを削いでしまったように感じます。画面は常に彩度が低く、暗いトーンが続くため、この作品らしい「ポップな残酷さ」が損なわれており、藤本タツキ先生が描く、あの狂ったような予測不能な漫画的歪みが、小綺麗に整えられた作画によって消されてしまったのはとても残念です。
演出とテンポの決定的な違い
全編「オシャレなチェンソーマン」という方向性は、僕が漫画を読んだ時に感じた、熱くて泥臭い『うしおととら』のような読後感とは真反対のものでした。
特に速度感の解釈には大きな隔たりがあって、原作では「チェンソーを出す、見開きでぶった斬る!」という一瞬のテンポで進みますが、アニメ版では「チェンソーを出す、一歩踏み出す、ヨロヨロする、振り被る、遠目で切る」といった、全く違うテンションと画角で描かれています。この演出の違いが、視聴中のストレスとして残り続けてしまった。
キャラクターの造形と世界観
キャラクターの演技についても、写実的な演技指導のせいで、デンジやパワーが「普通の人」に見えてしまいました。彼らはもっと叫び、喚き、支離滅裂であるべきキャラクターです。そのリアリティの追求が、原作の持つ異常性を霧散させています。
アニメならではの誇張された動きや色使いをわざと制限し、実写に寄せようとする姿勢が、アニメ作品としての魅力を自ら縛っているように感じました。原作の魅力である脈絡のない狂気や荒削りな勢いが「オシャレな邦画」として再解釈されたことで、魂である「泥臭さ」や「B級映画感」が消え、単なるスタイリッシュな映像作品に収まってしまった印象です。
音楽とプロモーションへの違和感
毎週変わるエンディングテーマに旬のアーティストを起用する手法も、オシャレにしたいという下心が透けて見えます。宣伝効果はあるのでしょうが、作品自体の面白さとは切り離された要素に感じました。このチェンソーマンというドぎついエネルギーを、全力で叩きつける楽曲を一本だけ作品全体に使う、というテイストも見てみたかった。
シネマティックな劇伴も背景に溶け込みすぎていて、印象に残るキャッチーな劇中歌が少なかったことも要因かもしれません。作画自体のクオリティは非常に高いだけに、その活かし方のベクトルが異なっていたことが非常に悔やまれます。
静かな日常描写とこれからの期待
一方で、アキのモーニングルーティンのような、原作の行間を埋める静かな日常シーンは非常に見応えがありました。こうした丁寧な積み重ねが、後の悲劇をより重く、切なくさせている点はすごく良かったです。この様な監督のオリジナリティが、もっと全編で良い方向に化学反応してくれたら素晴らしかったのに…
今回の「食い合わせの悪さ」は残念ではありますが、この監督のスタイルは心理戦や推理モノ、人間ドラマに特化した作品であれば、もっと別の輝きを放つと思うし、他のジャンルでこの才能をぜひ見てみたいです。
総集編では演出がかなり修正されているとのことなので、そちらでまた改めて作品に向き合ってみたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんの感想も、ぜひお聞かせください!


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