【シラート】
- 鑑賞日 2026/06/06
- 公開年 2026
- 監督 オリベル・ラシェ
- 脚本 オリベル・ラシェ、サンティアゴ・フィロル
- キャスト セルジ・ロペス、ブルーノ・ヌニェス・アルホナ、ステファニア・ガッダ、ジョシュア・リアム・ヘンダーソン、トニン・ジャンビ、トナン・ジャド・オウキッド、ジャド・リチャード・ベラミー、ビギ
- あらすじ ルイスは、砂漠でのレイブパーティ(野外ダンスミュージック・イベント)に参加したまま行方がわからなくなった娘を捜すため、息子のエステバンとともにモロッコの山岳地帯から砂漠の奥地へと車を走らせます。 やがて彼らは、現実と幻覚が混濁するような野外レイブ会場にたどり着きますが、そこにはすでに娘の姿はありませんでした。父子は他のレイブ参加者のグループを追い、娘が向かったと思われる次の会場を目指して、道なき砂漠へとさらに足を踏み入れていきますが、旅は徐々に緊迫したサバイバルへと変貌していきます。
- ジャンル スペイン映画 フランス映画 ドラマ サスペンス
- 鑑賞媒体 映画館
- お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)
感想
映画『SIRAT シラート』、言葉を失うほどの圧倒でした。今回は、事前の広告で注意されていた通りに、ジャンルも監督も、登場人物やあらすじさえも一切の予備知識を入れずに挑むという、久しぶりの「完全ブラインド状態」での鑑賞でした。
本来の映画鑑賞のあるべき姿を思い知らされた気分で、これがホラーなのかコメディなのか、あるいはシリアスなのかギャグなのか、人が簡単に死ぬ世界なのかどうかさえ分からないままスクリーンに向き合うことになり、あらゆる予定調和や規定が取り払われた暗闇の中で映画を観ることが、これほどまでに強烈な緊張感を生むのかと、その演出の手腕には脱帽しかありませんでした。
クライマックスの場面では冗談抜きで、全身を後ろのシートに押し付けるほどに身構えてしまい、スクリーンを直視できず、目を細めてしまう程に恐ろしかった…完全ネタバレ記事になりますので、お気を付け下さいませ。
令和の『地獄の黙示録』としてのプロット
一見するとこの映画は、ユーロ圏がイスラム教圏に侵略されたかのような世界戦争が勃発した世界で(その辺の描写もあやふやですが)、白人だけの楽園(レイブ祭り)を追われてしまったがために、次の楽園である祭り場を目指して「シラート(天国と地獄を渡す細く険しい橋)」を渡っていく、というプロットに見えます。
実際の設定としては、父親のルイスと息子のエステバンが、行方不明になった娘のマルを探すという家族のドラマがベースにありますが、この個人的なドラマは物語を動かすためのマクガフィンに過ぎません。全体として深いレイヤーで描かれている事は、現代の世界情勢や文明の凋落を描いた痛烈なメタファーであり、それはまさに令和の『地獄の黙示録』と呼ぶにふさわしい、凄まじい煉獄への没入体験でした。
地獄の黙示録も始めは戦争映画として真っ当な描き方がされていきますが、次第にジャングルの奥地に進むにつれ内面世界の話になってゆき、観終わる頃には本当に地獄めぐりをしたかの様な錯覚に陥ったものです。今作もプロットは似通っておりますが、その圧倒的な没入体験をブーストさせるのが全編に流れる「レイヴミュージック」です。映画館の大音量サラウンドによる音圧は、次第に思考を麻痺させ、登場人物たちの様に酩酊状態になっていきます。これは、とてもじゃないけど自宅の環境では再現不可能で、劇場でしか得られない物凄い体験でした。
他人の庭でダンスを踊る
モロッコの砂漠という、本来であれば静寂と現地の信仰が支配する神聖な土地で、ヨーロッパの都市空間や地下の工場地帯で研ぎ澄まされてきた「最も人工的なノイズ」であるインダストリアル・テクノを大音量で響かせる行為、爆音を流し、ドラッグの享楽にふけ、白人だけで熱狂しているあの野外レイブは、自分たちだけは絶対的な安全圏にいると信じ込んでいた「占領地での白人至上主義黄金期」の縮図そのものに見えました。しかし、その歪んだ楽園は、テレビに映し出される何万人もの信者がモスクで礼拝している場面に象徴されるように、イスラム教の台頭によって追いやられてしまっております。
軍の介入と戦争の足音によって彼らが追いやられるプロセスは、昨今のイラクやイスラエル、中東情勢の混迷が、巡り巡って欧米社会そのものの基盤を脅かしている現実と地続きです。かつて支配する側(あるいは介入する側)だった者が、一瞬にして「追われる側」へと転落する恐怖が描かれておりました。
また、レイブ自体が彼らの安息の地であると同時に、トリップしながら踊り続ける様は、狂気的な戦争のメタファーにも見えました。暗闇の中で激しく明滅するストロボライトや、地を揺るがせる爆音は、まるで戦場そのもののようです。彼らは人の庭を自分たちの都合の良い安息地として勝手に消費し、土足で踊り狂っていましたが、その後、痛烈なカウンターとして機能していきます。
ここで興味深いのが、父親ルイスの立ち位置です。彼ら親子だけはレイブの部外者であり、あの狂乱の儀礼に参加していませんでした。ある種、現存する宗教や伝統的な価値観にとって「この音楽がノイズにしか聞こえない」という、明確な反対派として父親は描かれていたのです。
境界線としての川と反転する運命
始めはある種牧歌的だったドライブの雰囲気が、徐々に、そして決定的に不穏なものへと変貌していく最大の転換点があります。それが、中盤で旅をストップさせる「川」の場面です。
あの川で、親子のワゴン車だけがどうしても渡れずに取り残されそうになり、それが彼らが現実に引き返せる最後のチャンスでした。しかし、先行していたトラックが引き返してくれたおかげで、向こう側へと渡れてしまいます。日本で言えば彼岸と此岸をわける三途の川、ギリシャ神話で言えば現世と冥界を分けるレーテーの川、親切心で親子を向こう岸へ渡らせたレイブ参加者の面々は、図らずも黄泉平坂へと案内する水先案内人になってしまったのですね。
この川を境にして、映像の手法としても明確な変化が起きています。それまで車は主に画面の右から左、つまり下手から上手へと、過去から未来に向かって進んでいました。ところが、川を渡って以降は、逆に左から右への描写が急激に増えていきます。あちら側に渡ってしまった三台の車が左から右へと進んでいく構図は、彼らが地獄へ向かって直進していることを視覚的に証明しています。
等価交換の呪いと剥ぎ取られる特権
事前知識なしの、最も苛烈な洗礼を受けるのがこの後の展開です。それは、子どもと犬が車のサイドブレーキをうっかり解除してしまい、そのまま崖の下へと転落しまうシーンです。今でもその光景が頭から離れず、精神的にかなりキツい場面でした。実際にグロテスクな描写は全くなく、ですが、それ故に、想像を否が応でもかきたてます。崖下に落ちて行きながら何度も何度も何度も車体がぶつかる音がするのですが、その落下時間の長さにどれだけの高さだったのか、その間子供とワンちゃんはどれだけの恐怖だったのか、直接的な描写をあえて見せないだけに、こちらの想像だけがグルグルグルグルと回り続けます。
「子どもと犬だけは絶対に死なない」というハリウッド映画の不文律を、何の躊躇もなく一瞬で踏みつぶしてくる容赦のなさは、本当に心の底から恐怖を覚えました。予備知識がなかったからこそ、このルールの破壊によるショックは凄まじかったし、ジャンル予習がない、ということはこれほどまでに心が無防備になるのか、と寒気がしました。なんでしょうね、アンパンマンをのんびり観てたら、急に殺し合いが始まる、みたいな…
子どもは「未来・希望」の象徴であり、犬は「無条件の忠誠・安全」の象徴です。それが、あまりにも些細で、悪意のない不条理によって一瞬で世界から消え去る。これにより、僕らが心の拠り所にしていた「西欧的な、予測可能で安全な秩序」が完全に崩壊したことを意味します。
この段階でドラマの核であった子どもを退場させたことによって、父親が抱いていた「娘を捜し出し、家族を再生させる」という個人的な目的は実質的に不可能になります。生きる意味を失った父親は、ここから「娘を捜す主体」ではなく、ただ死へ向かって歩むだけの抜け殻へと変貌せざるを得なくなります。だからこそ、後半の地雷原で、普通の人間なら足がすくむ状況を「無心」で突き進むことができた流れに繋がるのですね。
その流れを汲み取り、映画の因果関係を注視していくと、非常に恐ろしい等価交換の構造が成り立っていることに気づかされます。砂漠でトラックが泥にスタックしてしまい、それをみんなで直すと、その裏で子供が死ぬ。取り乱した父親を喪失の恐怖から救い出そうとすると、その女性が地雷を踏んで死ぬ。
「一人を助けると一人が死ぬ」という冷酷なバランスは、この死の道程において、一つの試練を乗り越えるためには必ず「生贄」が必要となるという、地獄を抜け出す為の残酷なルールを表現しています。すべては神の思し召し、ではありませんが、人間のささやかな善意や努力など巨大な宿命の前では何の役にも立たないという絶望が、ここに極まっておりました。川を渡って以降のあの道程全体が、「一歩の進展に対して、一つの命の関門を要求する」という、容赦のない宗教的・霊的な精算空間として機能していたのです。
ハリウッド映画であれば、スタックを直したヒーローは子どもを救い、父親も女性も全員で生き残るカタルシスを描くでしょう。しかし本作は、善意の介入すらも別の破滅を招くという不条理を描くことで、観客に神への畏怖、あるいは運命への絶対的な諦念を迫っています。この、「人間の善意が通じない、冷酷な等価交換の世界」というのは残酷なようではありますが、世の中の沢山の理不尽な出来事から心を守るための価値観でもあるかも、とも思いました。
大自然の中で、鳴りやまない人工的なテクノ
この絶望的な旅路とずっと並走しているのが、作中絶え間なく背景で鳴り響いている、電子系のズンズン音楽です。フランス出身の電子音楽家カンディング・レイが手掛けた、インダストリアル・テクノやダーク・テクノと呼ばれるジャンルのサウンドですが、元々この電子音が大好きな僕にとっては、この過激な人工音とサハラ砂漠の手つかずの大自然との対比が本当に見事だと感じられました。
あえてクラシックや現地の民族音楽ではなく、ヨーロッパで進化した最も人工的で硬質なテクノを選んだのは、他人の国に勝手に踏み込んで、自分たちの文化を爆音で撒き散らしているという白人たちの傲慢さのメタファーに見えました。同時にそれは、白人の割合が激減したと言われる現代ヨーロッパの、移民や難民を巡る社会問題を痛烈に皮肉っているようにも聞こえます。
しかもこの音楽は、彼らが車を失い、水が尽き、どれほど過酷な状況に追い詰められても、終盤まで形を変えずにずっと同じ熱量で鳴り響き続けます。大自然の静寂に呑み込まれることなく、最後までこの爆音が響き続ける異物感こそが、文明の強固な呪縛としてのディストピア感を与えておりました。
融和やわかりあえる、といった欺瞞
この過酷な旅路のなかで、最初はレイブ音楽反対派だった父親は、食べ物を分け合ったり、ガソリンを買ってあげたり、川を渡る手助けをしたり、スタックを抜けさせてあげたりと、異宗教や他者の文化と少しずつ融和していきます。そして最後には、息子というかけがえのない存在の消失を経て、かつてノイズだったはずの相手側の音楽に身を委ね、ゆらゆらと踊りはじめ、自らの悲しみを癒やそうとするのです。
もしここで映画が終われば、それはそれは美しい「喪失と融和の物語」だったでしょう。しかし、彼らが心を通わせ、美しい融和を果たした瞬間に目の前に現れるのは、あまりにも無慈悲な地雷原です。そこでは、せっかく分かり合えたはずの仲間たちが、容赦なく爆散して死んでいきます。なんだったら、その全員を地雷原という地獄へ先導したのは、絶望で彷徨い歩いた異教徒の父親自身だったのです。これは、「宗教や文化の融和など、そもそも成立しない」という、監督の極めて冷徹な皮肉のようにも受け取ることができました。
運否天賦の「シラート」を越えて
地雷原のシーンでは、スピーカーの鉄格子の部分がアップになり、明確に「十字架」の形が映し出されるカットがあります。彼らは、そのスピーカーを地雷原に放置し、先へ進みます。目で見て、頭で計算して、世界をコントロールしようとする西欧的な合理主義や、自分たちを支えていたキリスト教的なアイデンティティをすべて捨て去る瞬間です。
それらを捨て、悟りを開いた様に無心になったルイスは無事地雷原を突破できるのですが、同じ足跡を辿った別の人間は無慈悲に爆死してしまいます。彼らがしきりに目を瞑って酩酊していたトランス状態というのは、あくまで一時的な「逃避」であって、人間の精神的な「成長」ではなかった。そうではなく、自分の意志で一歩一歩あの不条理な地雷原を歩き、対岸の岩場へと渡り切って初めて、本当の意味での精神的な成長があるのだと感じました。
しかもその道は、「信仰や正しい心があれば生き残れる」といった、因果応報のわかりやすいルールでは決してありません。一歩踏み外せば善人も悪人も等しく吹き飛ぶ、まさに「運否天賦」という剥き出しの理不尽が支配する道です。この理不尽な審判を自らの足で経て、衣服の綺麗さも、それまでの特権的な立場もすべて剥ぎ取られて、やっと彼らは「剥き出しの一人の人間」へと解体されたのです。
多極化する世界と厳かな融和
地雷原という最大の試練を乗り越え、命からがら生き延びた彼らが最後にたどり着いたのは、砂漠を縦断するモーリタニアの巨大な鉱石列車でした。彼らは、衣服の綺麗さも、それまでの特権的な立場もすべて剥ぎ取られた状態で、その列車のむき出しの荷台へと乗り込んでいきます。
そこには、戦火から逃れてきた、イスラエル系をはじめとする無数の本物の難民たちがひしめき合っていました。かつて他者の土地を消費し、安全圏から爆音を鳴らしていた白人たちが、過酷な試練の果てに、最後は現地の持たざる者たちと文字通り同じ立ち位置になり、完全に混ざり合っていくのです。
国境もシェルターも失い、全員が等しく難民として不確実な未来を生きるしかないというこの物凄い構造は、圧倒的な虚無感と同時に、どこか厳かな融和を湛えて、地平線の彼方への景色で最後となります。それは空虚で悲しくやるせない風景でしたが、決して絶望ではない何かが心に残りました。
何の予備知識も持たずに放り込まれたからこそ、演出の意図が生の衝撃として脳裏に直接焼き付く、本当に凄まじい映画体験でした。二度と観たくはありませんが…(汗)できればすべての映画をこの様に未予習でみれたらいいなぁ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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