【ライオン・キング:ムファサ】
- 鑑賞日 2024/12/26
- 公開年 2024
- 監督 バリー・ジェンキンス
- 脚本 ジェフ・ナサンソン
- キャスト アーロン・ピエール(英語版)ケルヴィン・ハリソン・Jrセス・ローゲン
- あらすじ 2019年の映画『ライオン・キング』の物語の後、タンザニアのプライド・ランドを舞台に、マンドリルのラフィキが、ムファサの孫であり、シンバとナラの娘であるキアラに2頭のライオン、ムファサとタカの起源の物語を語る。物語は孤児であるムファサが、若き王子タカと出会い、タカの家族に迎え入れられるところから始まる。2頭は兄弟のように親しくなる。ミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァも解説役として登場し、ユーモアを添える。
- ジャンル アメリカアニメ,ディズニー,ドラマ,アドベンチャー
- 鑑賞媒体 映画館
- お気に入り △(×、△、〇、◎の四段階)
感想
『モアナと伝説の海2』がすこぶる良かったため、最近のディズニーは調子いいじゃん!と、今回もかなり期待を寄せて鑑賞しましたが、残念ながら合わなかったです。
わざわざかつての悪役を掘り起こしてまで描きたかったストーリーがこれだったのかと、CG技術の実験やAI開発のために貴重なコンテンツが消費されてしまった印象を受けました。
良かった点としては、作中に登場する幼いチビライオンの姿が、愛猫の茶々丸に重なってとても可愛らしかったです。
予告編が与えた期待と本編のギャップ
予告編の作り方が非常に上手でした。兄弟の深い絆から始まり、やがて裏切りへと至るドラマチックな流れが提示されていて、これは滅茶苦茶面白そうだと胸を躍らせていました。しかし本編を実際に鑑賞すると、全体的にストーリー展開がかなり幼く感じてしまった。
初代の悪役という存在をはるばる呼び起こした以上、キャラクターの人間性?ライオン性?に深い奥行きを描いてくれるものと期待していましたが、実際にはさらなる不条理な悪役の狡猾さを被せて追い詰めるという、かなり容赦のない展開が繰り広げられていました。
写実的な映像表現とキャラクターの描き方
実写化としてのあり方に疑問符が浮かんだ前作の超写実的な映像と比較すると、今作はキャラクターの表情がディズニーアニメらしい表現に寄せられていました。あと一歩で、リアルとデフォルメのちょうど良い表現上のバランスが見つかりそうな手応えです。
しかし、アニメ版では容易に識別できたライオンたちの姿が、今作でも依然として写実主義に基づいて描かれているので、結果、画面上で個体を見分ける作業に神経を使う状況は変わっていませんでした。引き続き、高密度CGで描く意義とは?について考えさせれます。
実写化によって生じる「サークル・オブ・ライフ」の限界
アニメーションだからこそ許されていた弱肉強食のファンタジーは、実写映像に変換されると一気に描くことが難しくなります。生命の環であるサークル・オブ・ライフを謳いながらも、捕食される側の草食動物が、捕食する側の肉食動物に完全に従属している構図には大きな違和感を覚えました。これを観た子供に対してどのように説明すれば良いのか頭を抱えてしまいます。
見方によっては資本主義における搾取構造のようにも映りますが、野生世界ではなく一つの「国家」として草食動物と肉食動物の生命連鎖が存在するという設定も、アニメのデフォルメ表現であれば素直に納得できました。しかし、生々しい実写映像で見せられると受け止めるのがかなり厳しくなりますね。
作中で生き物たちが「みんなで戦おう」と団結する場面にしても、戦いが終わったあとに結局は食べられてしまうのにな、と邪推がよぎるし、本来、サークル・オブ・ライフという思想は、神の視点から俯瞰して世界全体を描くからこそ成り立つ美学です。
それを個人の視点や主観に落とし込んで描いてしまうと、主張の軸が大きくぶれてしまいます。王たる指導者の教えというよりも、特定の思想に傾倒した集団のように見えてしまう危険すら孕んでいます。本来描くべき姿は、国家の枠組みがありつつも、ライオンに襲われたシマウマが必死に逃げ惑うリアルな生の営みです。
懸命に命を全うした末に捕食され、ライオンの血肉となり、そのライオンも命を終えて大地へ還り草木となって再びシマウマを育むというサイクルこそが、サークル・オブ・ライフの本質であるはずです。実写化という手法をとる以上は、この根本的な命のやり取りから逃げずに描写してほしかった。そこを描いてくれないと、鑑賞した子供たちの認知に歪みが生じてしまいます。
初代のアニメ版は、そのあたりの生々しさを曖昧にしながら、実に見事なストーリーテリングを展開していました。草食動物側の個別の視点をあまり入れなかったからこそ、物語にノイズが走らなかったのです。しかし今作では彼らにもばっちり個性が与えられたため、鑑賞中にどうしても思考のノイズが発生してしまいました。
物語の深みを欠いた人間ドラマと設定の矛盾
タカが辿る兄弟への裏切りについては、もっと深く孤高な葛藤を描くものだと予想していました。しかし、そこに恋愛要素を持ち込んだことで、人間ドラマとしてどこか小ぢんまりとした物足りない印象になってしまいました。
僕たちは1作目の時点でスカーとムファサがどのような悲劇的な結末を迎えるかを知っています。だからこそ、その結末に向かって二人の間に存在する切ない兄弟愛を深く描けば描くほど、観客の心を揺さぶる感動的な展開を作れたはずです。
それにもかかわらず、なぜこのような浅い三角関係の展開にしてしまったのか疑問が残ります。また、ムファサというキャラクターも完全無欠の善人として描かれすぎており、人間らしい欠点や弱さがあっても良かったのではないかと感じました。
さらに、現代の価値観に合わせて初代に存在した血統主義を排除した試み自体は時代の流れに即しています。しかし、そのアップデートを推し進めれば進めるほど、結果として初代の物語そのものを否定することになってしまうのが切ないところです。
血統ではなく自らの力で王の座に就いたはずのムファサが、なぜ自身の息子であるシンバに対しては無条件で王位を継承させようとしたのかという点について、設定上の矛盾を感じざるを得ません。
写実表現が問いかける映画の可能性
表現の限界に挑み続ける技術の進化を目の当たりにしながらも、アニメーションを超える実写化とは一体何なのかという問いを深く考えさせられました。映像がリアルになればなるほど、アニメだからこそ成立していた豊かな物語の寓話性が損なわれてしまうからです。
もしかしたら制作陣はその大きな壁に挑もうとしたのかもしれません。そのチャレンジ精神には今後の進化も期待しつつ、深く感謝いたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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