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【映画レビュー】「オデュッセイア」

映画

【ホメロスが抱いた英雄への憧憬とノーラン監督が暴いた現実】

  • 鑑賞日 2026/09/08
  • 公開年 2026
  • 監督 クリストファー・ノーラン
  • 脚本 クリストファー・ノーラン
  • キャスト マット・デイモン、アン・ハサウェイ、トム・ホランド、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、シャーリーズ・セロン、ゼンデイヤ、サマンサ・モートン、ジョン・レグイザモ、ジョン・バーンサル、ヒメーシュ・パテル、ビル・アーウィン、エリオット・ペイジ、ベニー・サフディ、コーリー・ホーキンズ、ミア・ゴス、トラビス・スコット
  • あらすじ 西洋文学の原点とされる古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩をもとに、長編映画史上初となる全編IMAXフィルムカメラで撮影された大作です。トロイア戦争を終えたイタケの王オデュッセウスは、妻ペネロペと息子テレマコスが待つ故郷への帰還を目指しますが、神々の怒りを買い、一つ目の巨人や魔女、海の怪物といった過酷な試練に直面します。一方、王の不在が続く故郷では王妃に求婚者が迫り、息子も窮地に立たされる中、10年におよぶ過酷な帰還の旅が描かれます。
  • ジャンル アメリカ映画,アドベンチャー,ドラマ,歴史,ワクワク,考えさせられる
  • 鑑賞媒体 映画館(IMAX)
  • お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)

感想

【ネタバレ注意】 本記事には、映画『オデュッセイア』のネタバレが含まれています。

クリストファー・ノーラン監督といえばどうしても難解で小難しいイメージですが、超王道の直球エンターテイメントで仕上げておりました。

ホメロスの一大叙事詩「オデュッセイア」を忠実に映像化。勿論原典を知ってた方が楽しめるんだけども、知らなくても圧倒的な映像の力で十分楽しめる。押し付け教養映画と違い、「知らなくても楽しい、知ってたらなお楽しい」を見事に体現してくれたエンターテイメントの理想形でした。

あえてオーケストラを使わない当時の楽器に近付けた劇判や、IMAXカメラによる映像の考察など、魅力的な語り口は沢山ありますが、今作の感想は僕が最も感銘を受けた「なぜこの叙事詩を映画化したのか」について特化出来たらと思います。

マット・デイモンの過酷な帰路とIMAXがもたらす圧倒的実存感

過去作と同様に、マット・デイモンが帰りたがってる系映画なのですが、主人公はポセイドンの怒りを買ってしまったばかりに苦難だらけの帰路です。その道程は沢山の示唆に富んでおり、かつ、ドキドキハラハラする冒険活劇でもあり、この普遍的なエンタメが紀元前8世紀に作られたというのだから驚愕です。

文字消失時代を経て、口伝のみで現代に至り、人類史上最高峰のIMAXカメラで映像化するという、こだわり抜いたその映像からもたらされるのは圧倒的な実存感で、オデュッセウスの旅路を追体験させてくれる、この上ない極上の歴史浪漫でした。

原体験にある神話の世界とゲームの記憶

ギリシャ神話や北欧神話と言えば、僕は主にゲームで触れる事が多かったです。『アサシン クリード オデッセイ』『ヘラクレスの栄光』、『ゴッド・オブ・ウォー』、『Hades』、『ヴァルキリープロファイル』などなど。神々でありながら驚くほど人間臭い一面や、厨二病をくすぐる魅力的なワードの数々に、長年魅了されてきました。漫画やアニメの世界を見渡しても、「召喚獣オーディン」や「サイクロプス」など、神話の断片的なエッセンスはいたるところに根付いています。

映画で言えば一番鮮烈に覚えているのは子どもの頃に観た、「タイタンの戦い」でしょうか。盲目の地獄の魔女三姉妹やメデューサは本当に怖かったし、透明になれる兜や空を飛ぶペガサスにはものすごくワクワクして、何回も何回もVHSが擦り切れるほど観たものです。気が遠くなるほどの幾星霜、およそ一万年前から紡がれてきた人間の想像力が、これほど豊かで色鮮やかに現代の僕たちの周りへ伝えられている事実に、人間の英知に対する深い畏敬の念が湧き上がります。

なぜ今「オデュッセイア」なのか? ——「ゼウスの掟」と現代社会の写し鏡

逆に言えば、これだけ散々物語化された叙事詩をなぜ、今、ノーラン監督が作る必要があったのか。途中までその意図はわかりかねておりましたが、最終章のオデュッセウスの告白にて、腑に落ちた気がしました。

現代に生きる僕たちは、一万年前の人類を思い浮かべるとき、つい今の文明より劣っていると見下し、野蛮な原始人の姿を想像しがちです。しかし実際には、成文法の代わりに「神々の掟」を隅々まで周知させることによって、驚くべき高度な社会秩序が保たれていた世界だったそうです。

劇中で繰り返し登場する「ゼウスの掟」は、社会を維持するための絶対的な基盤でした。

古代ギリシャにおいて、最高神ゼウスは「旅人の守護神」としての側面を持っており、国家による警察機構や法律が存在しなかった時代、見知らぬ土地へ足を踏み入れる旅人は、常に理不尽な略奪や殺害の脅威に晒されていました。そこで社会秩序を保つために機能したのが、「客神歓待(クセニア)」と呼ばれる掟です。主人は見知らぬ旅人であっても素性を問う前に温かく迎え入れて宿と食事を提供しなければならず、旅人もまた主人の家財を荒らしてはならないという厳格な決まり事でした。

「みすぼらしい旅人は、姿を変えて巡回している神かもしれない」という強い畏怖と、「掟を破ればゼウスから恐ろしい天罰が下る」という共通の信仰が、当時の世界における国際法であり相互安全保障システムとして機能していました。「これを破ったら世界が無茶苦茶になるから、全員で絶対に守り抜こうな!」という強固な相互監視の精神が、社会の崩壊を防いでいたのです。

インターネット社会の到来と境界線の消失

インターネットやSNSが普及する以前の世界は、この太古の価値観に近かった印象があります。外国や他者は物理的にも心理的にも遠く離れており、自分の半径数キロメートルこそが世界のすべてでした。他人との距離が適切に保たれ、手に入る情報も限られていたからこそ、「天網恢恢疎にして漏らさず」という道徳的な抑止力が世間の中で有効に働いていました様に思います。

しかし、インターネットの爆発的な普及によって他者との心理的距離は一気にゼロになり、世界のあらゆる情報が瞬時に可視化されるようになりました。国境も、個人の価値観も、宗教も、あらゆる境界線が急速に曖昧になり、自分自身の幸福や不幸までもが他者との比較基準で測られる時代に突入しています。その結果として今まさに現実世界で起きている現象は、「ゼウスの掟」の全面的な崩壊。「信仰?道徳?クソ喰らえ!勝つためならなんでもしていいんだよ!」という、なんでもありの危うい時代が到来しています。

禁忌を犯したオデュッセウスと青銅器文明の崩壊

劇中のオデュッセウスもまた、泥沼の戦争を終わらせたいという焦りと、故郷に残した愛する妻子に再会したいという一心から、ゼウスの掟を破るという最大の禁忌に手を染めてしまいます。

彼は本来、弓の弦を指で弾いてあらかじめ獲物に自らの存在を知らせ、対等の条件を整えてから狩りを始めるほどに公平さを重んじる高潔な男でした。その彼が、神への神聖な貢物であると偽ってトロイの木馬の中に身を潜め、強固な城壁の内側へと侵入し、無辜の民を虐殺します。

相互監視によるゼウスの掟が社会の根幹を支えていた世界において、トロイアの人々は敵がまさか神の名を騙った騙し討ちを仕掛けてくるとは夢にも思っていなかった事でしょう。「いやいやいや!それをやっちゃったら、お前、世界がどうなるかわかってんの!?」という衝撃です。当然その後に起きるのは「じゃあ、俺もやってやんよ!」です。

オデュッセウスが犯したその背信行為をきっかけに、世界中はまるで疫病が蔓延する勢いで倫理を失った混沌の時代へ突入していきました。その結果として引き起こされたのが、青銅器文明の崩壊という未曾有のカタストロフであり、文字の記録すら完全に失われた暗黒時代の到来でした。

いま僕たちが生きている現代社会でも、これと全く同じ破滅の構図が現実味を帯びています。かろうじて国際的な枠組みによって保たれている現代版の「ゼウスの掟」を破り、どの国家がオデュッセウスのように最初の核兵器の発射ボタンを押してしまうのか。それが始まったら最後、僕たちの文明もミケーネ文明の様に一気呵成に崩壊するのです。

反転する英雄譚 ——「海の向こうからくる者」の正体

この切迫した時代性を描き出すための題材として、紀元前の「オデュッセイア」を選び取ったノーラン監督の天才的な着眼点には脱帽します。太古の時代から脈々と語り継がれてきた絶対的な説得力を持ちながら、間口の広い痛快な冒険活劇の魅力も兼ね備えている。何より素晴らしいのが、この叙事詩の持つ普遍的なパワーをそのままド直球に映像化した事。いつものノーラン節と言いましょうか、難解な演出やガジェットを廃して、観客がこの旅路に没入出来るよう特化させたのです。

そして、その徹底的な没入体験の果てに、僕たちがラストに観るものは前述した絶望でした。

物語のクライマックスに至るまでは、誰もが知る神話の忠実な再現が続き、このまま王道の冒険活劇として幕を閉じるのだろうと呆けていた所に、オデュッセウスによるトロイア陥落の回想シーンが挿入され、物語の様相はグルンと逆転します。彼は称賛されるべき英雄でも、誇り高き父親でもなく、世界を破滅的な混沌へ導いた張本人だったのです。

トロイアの門を騙し討ちで内側から開け、雪崩のように押し寄せる軍勢はまるで地獄の蓋が開いたかのような光景。中央に君臨するアガメムノン総大将は冥府の主、冥王ハデスの如くでした。(このシーンはマジで格好良かった)

この陥落描写の恐ろしい仕掛けは、時間差で描かれる二度の回想にあります。一度目の回想では、困難な潜入作戦を見事に成功させたスパイミッションのような高揚感を観客に味わわせます。しかし、二度目の回想においては、その作戦によって城内でどれほど残酷な大虐殺が繰り広げられたのかを徹底的に描写し、先ほどまで作戦の成功に胸を躍らせていた観客自身の心へ強烈な罪悪感を突き刺してくるのです。

オデュッセウスの犯した背信によって、世界は取り返しのつかない混乱の時代へと突入しました。神話の中で恐れられていた「海の向こうからやって来る破滅の使者」の正体とは、他ならぬオデュッセウス自身だったという結末には、足先から脳天まで電撃が走るほどの衝撃でしたよ。ゲーム『エースコンバット5』において、世界を破滅させる不吉の象徴と語られていた「ラーズグリーズの悪魔」の正体が、実はプレイヤー自身が操る主人公たちだった時の鳥肌を思い出しました。

妄想か現実か ——「信頼できない語り手」が生んだ二重構造

その時になって気付きます。あれ?これって結局、全てオデュッセウスの口伝じゃないの?と。僕たちは最新の映像技術を通じて彼の壮大な旅路を客観的に追体験していたつもりになっていましたが、劇中で起きた超自然的な出来事を証明できる客観的な証人は、実は最初から一人も存在していませんでした。

トロイアを占領した際、アテネ像の首を切り落とした描写こそが、彼の内面と現実世界を決定的に分断した瞬間だったと僕は受け止めています。崩壊していくトロイアの姿は、彼の手によってこれから崩壊へ向かう全世界の未来と同義。そこから始まる地獄のような放浪の旅路は、「神話の世界で本当に起きた冒険活劇」としても、「自らの大罪に耐えかねた男の罪悪感が生み出した精神の逃避行」としても、観客自身の解釈次第でどちら側からでも受け取れる多層的な構造になっています。叙事詩というジャンルを利用した、この見事な物語の反転トリックには、もう腰を抜かしましたよね。

なので、度々現れるゼンデイヤも、女神アテネなのか斬首された少女の幻影なのか、シャーリーズ・セロンも、海の女神なのか、帰りたくないオデュッセウスが産んだ幻なのか、あの旅路の全ての出来事が寓話になり、メタファーとなり、男の持つ苦悩と後悔と情けなさとなり、とてつもない深さを物語に与えてくれたのです。すごい!拍手喝采!

漂流するボートの中で動物たちと過ごした過酷な日々が、実は極限状態に置かれた人間たちの生々しい姿の写し鏡だったという、映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』の物語構造と似てますよね。

ホメロスが抱いた憧憬と、ノーランが引き剥がした英雄の皮

ホメロスがオデュッセウスの生きた時代を振り返る時間軸は、およそ400年前の過去。これは現代の僕たちが織田信長が生きていた戦国時代を振り返る感覚と同じでしょうか。ただ、僕たちには信長の行動を記録した豊富な文字資料が残されているのに対し、ホメロスとオデュッセウスの間には文明が消失した暗黒時代が跨っています。

僕たちの感覚で例えるなら、本能寺の変の直後にカタストロフが発生し、文字も記録も完全に消失。それを琵琶法師達が口伝のみで語り継ぎ、400年後の明治に初めて文字で書き起こした、という感じですかね。

名もなき吟遊詩人たちが歌い継いできた叙事詩を耳にしたホメロスは、かつて存在したとされる伝説の英雄に対して、どれほど熱烈な浪漫と憧れを抱いたことでしょうか。そこから着想を得て作り上げた「イリアス」と「オデュッセイア」からは彼の焦がれる憧憬がヒシヒシと伝わるようです。まるで日本のオジさん達が坂本龍馬に憧れるかのように。

だからこそ、ノーラン監督が21世紀の最新映像技術を駆使してオデュッセウスから引っ剥がした「英雄の皮」は、身震いするほど残酷であり、同時に強烈な鳥肌が立ちました。近年の歴史研究において坂本龍馬の単独での活躍が実態以上に美化されていたという冷静な検証が進んでいる状況と同じように、「ホメロスさんよ、お前が浪漫として語り継いできたその男は、実は取り返しのつかない大罪を犯した上に、その罪悪感から逃避しただけの物語じゃないのか?」と突きつけるのです。

相互安全保障の崩壊をゼウスの掟の失効に重ね合わせ、神殺しの描写を道徳の喪失とシンクロさせるノーラン監督の卓越した批評眼には、心底感服させられました。

余談:アルゴスワンちゃんと、2026年スクリーンを席巻する犬たち

た~だ!アルゴスワンちゃんの別れはもうちょっと尺をとって欲しかった(泣)正体を隠しているから長居できないのはわかるけど、肥溜めの上で長い間放置されて待ち続けたアルゴスが可哀想すぎる…

ってか今年のワンちゃん映画率はなんですか?「グッド・ボーイ」ラストサバイバー」「ハート・オブ・ビースト」「オークストリートの異変」「ダイ・マイ・ラブ」「シラート」などなど…どんなマーケティングでそうしているのか、映画業界で何が起きているんでしょうね?次はホラーも公開される、アン・ハサウェイフィーバーもすごいですよね。

沈みゆく太陽へ向かって ——絶望の先にある人類の叡智

話は逸れましたが、それではノーラン監督は、「ライオン・キング:ムファサ」の様に、わざわざ故人を墓から掘り起こして貶めたかったのかと言われると、そうではないように思います。

映画のラスト、オデュッセウスとペネロペ夫婦が新たな旅路へと漕ぎ出していく結末には、確かな希望が描かれてました。彼らが築き上げた青銅器の文明は滅び去ってしまいましたが、遺した物語は、一万年近い歳月を越えて2026年の僕たちのもとへ確かに届いています。

水平線の彼方へと一度太陽は沈んでいくけども、その光を目指して船を漕ぎ出していく二人の姿には、「人間が積み重ねてきた知恵と物語の力は、そう簡単に滅びはしない」という力強い祈りが込められていると感じました。滅びた文明が再び復活したように、また昇る太陽を目指して進む。

いま僕たちが生きているこの世界も、かつてのオデュッセウスたちと同じように、過去の常識や価値観が覆される歴史的な転換点にあります。インターネットの普及から生成AIの爆発的な進化に至るまで、紀元前から今日まで人類が誰一人として経験したことのない未知の領域。それは太古の農業革命や近代の産業革命を遥かに凌駕する凄まじい速度の変化です。

世界の急速な激変に足元が揺らぎ、寄る辺のない深い不安に襲われそうになる瞬間もありますが、今作のような骨太な映画を制作してくれることで、多くの貴重な気づきを得ることができます。それも説教くさいお勉強ではなく、最高峰の極上エンターテイメントという贅沢な体験を通して。

古代の吟遊詩人が歌に乗せて語り継ぎ、それを詩人ホメロスが文字として書き留め、そして21世紀のノーラン監督が最高峰のIMAXカメラで圧巻の映像として昇華させた、浪漫あふれるネオ一大叙事詩。

一万年の時を超えて魂を揺さぶる、天晴れな大傑作でした!


イラストのタイムラプスです↓

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