【ニューグループ】
- 鑑賞日 2026/07/01
- 公開年 2026
- 監督 下津優太
- 脚本 下津優太、佐原百子
- キャスト 山田杏奈、青木柚、駒井蓮、木下暖日、
- あらすじ 校庭にそびえ立つ、笑顔の“人間ピラミッド”。それは、学校と地域全体を飲み込む狂気の始まりだった――。引っ込み思案な女子高生・愛(山田杏奈)と、周囲に馴染めない意志の強い転校生・優(青木柚)ある日、校庭で一人の生徒が四つん這いのまま動かなくなり、それを皮切りに生徒たちが次々と重なり合って巨大な「人間ピラミッド」を形成していくという、異様な事態が発生します。不気味なのは、積み重なった生徒たちが全員、一様に穏やかな「笑顔」を浮かべていること。果たして二人は、この優しくも恐ろしい「狂気の一体感」から抜け出すことができるのか――?
- ジャンル 日本映画,ホラー,サスペンス
- 鑑賞媒体 映画館
- お気に入り △(×、△、〇、◎の四段階)
感想
異色組体操ホラー『NEW GROUP』。日本人の同質性や、そこから生まれる同調圧力の歪さを「組体操」という非常に身近な形に落とし込んでホラーとして表現したのは、本当に素晴らしいアイディアだと思いました。
誰もが学校教育の中で経験するあの集団行動に目をつけた着眼点は、その手があったか!と思わず唸らされるものがありましたが、その秀逸な初期衝動からさらに深いレイヤーへと物語を落とし込むことには少し苦戦しているように見え、テレビ番組の『世にも奇妙な物語』の1エピソードのような規模感で終わってしまったのが、とてももったいないなと感じてしまいました。
日常のリアリティと「肌感覚」の大切さ
こういった同調圧力や集団の狂気をメタファーとして描きたい場合、やはり僕たちの日常に潜むリアルな質感をいかにこちらに伝えてくれるかが、作品の成否を分ける重要なポイントになると思います。今作はその日常側の描写が少し物足りなかったために、おとぎ話のような仕上がりに見えてしまった感がありました。宇宙人の洗脳という設定も、テーマを真正面から描く、逃げ、に見えてしまった。
『世にも奇妙な物語』のような短編であれば、作品の時間が限られていることもあって、地続きのリアリティを描けない結果として「奇妙な日常の中で奇妙な出来事が起きる」という一種の寓話的なテイストになっても十分に番組として成立します。
しかし、映画という一本の独立した作品である今作においては、学生たちが感じる学校という閉鎖空間での独特な違和感を、もっと僕たちの肌感覚に直接訴えかけるような形で伝えてほしかったなと思います。「リアルな日常で、奇妙なことが起きる」というリアリティラインをしっかりと維持しなければ、この重厚なテーマはなかなか生きてきませんし、寓話として処理してしまうと、どうしても全体の印象がフワッとしたまま終わってしまう印象です。
アルゼンチンから転校してきた時に感じた集団行動への違和感
僕は小学5年生の時に、超個人主義の国である南米アルゼンチンから日本へと引っ越してきました。そのと当時の遠足バスの中での出来事なのですが、喉が渇いたので自分の水筒でお茶を飲んだところ、隣に座っていた女の子から「せんせー!ぱたやくんが勝手に水筒飲んでますー」と大声で指摘されてしまったのです。すると担任の先生からも「アルゼンチンでは勝手に飲んでよかったのかもしれないけれど、うちの学校では一言先生に飲んでいいか聞いてから飲むんだよ」と注意を受け、子供心に「なんていう国に来てしまったのだろう」とものすごい衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。
もちろん、その学校が少し特殊だった可能性もありますが、ルールそのものの意味よりも「みんなと足並みを揃えること」が絶対視される空気に圧倒されました。
また、今作のモチーフでもある運動会の組体操についても、同じような違和感を抱いた経験があります。初めて体験した運動会での「円柱ピラミッド」は、小学生が直立で三段も積み重なるため、子供の目線からはかなりの高さです。その頂点には、クラスで一番背の小さい子が登らなければならないのですが、当然そんな高さは怖ろしくて足がすくんでしまうのが当たり前です。それでも当時はザ・昭和、先生方は叱咤激励を飛ばしながら、半泣きに怯えてるその子を何とか強制的に登らせようとしていました。下にいる僕らも重さの苦しみから「早く登れって!」「ビビんなって!」などど、その子を囃し立てた記憶があります。今思い返しても胸が痛い。
周囲の大人たちがそこまでして一つの形を作らせようとする姿を見て、子供ながらに「こんなにも怯えさえ、怪我のリスクを冒してまで、これを強要する意味は一体どこにあるのだろう」と大きな疑問符が浮かんだものです。社会の歯車として育てるシステム、軍隊の様に上官の命令を聞きやすく育てるシステム、まさにこの映画の組体操を強要する教師たちに重なりました。
また、「掛け声!」という教師の号令に対して、一糸乱れず生徒たちが「ヤー!」と繰り返す場面でも、小学校の卒業式を思い出しました。卒業式の何カ月も前から、一人一人がスクっと立ち上がり、「今日を迎えられた感謝~」「春の門出を~」とセリフを順繰りにいうアレです。
誰かが詰まったり忘れたりすると、熱血教師が涙ぐみながら「お前達の卒業式なんだぞ!シッカリせんかー!」と怒号を飛ばしてくるのです。「僕たちの卒業式なのに、なんでこんな楽しくない事をしなくちゃいけないんだ?」とこれまた疑問符が浮かんでおりました。(やはりこの小学校が異常だったのかもしれません(笑))
確かに、みんなで一つのことを成し遂げた時の達成感や絆というのは、何物にも代えがたい唯一無二の経験になるのかもしれません。しかし、個人の自由が尊重される南米の空気の中で育った身としては、日本の集団行動の裏にある思想にどうしても馴染めない部分がありました。とはいえ、僕個人はそんなに強い人間ではないので、作中の優の様に権力に逆らう勇気はなく、一年もすれば日本社会の「空気を読む」システムを迎合しておりました。この作品で言うなら、真っ先にピラミッドに加わる生徒だった訳です。
島国日本では、田んぼの水源一つを巡って殺し合いをしてしまうほど、狭い土地で生きてきました。そうした過酷な環境を生き延びるためには、突出した個性を潰し、全員が同調して歩幅を合わせなければならないという、土地柄から来る根深い民族性があったのだと思います。今作のような映画だからこそ、そうした日本人が歴史的に抱えてきたドメスティックな深層心理を、もっとリアルでシビアな視点から切り込んで描いてほしかったなと感じます。もしそこが徹底されていれば、観客の身の毛もよだつような、深く重い恐怖を味合わせる傑作になったのではないでしょうか。
キャラクターの掘り下げと空間がもたらすリアリティライン
劇中に登場する海外帰りの転校生・優(青木柚)は、まさに当時の僕と全く同じ立ち位置のキャラクターだったため、彼の内面についてはもっと深く掘り下げて描いてほしかったなというのが正直なところです。劇中で「愛されてぇー!」と叫ぶように、主人公の愛(山田杏奈)と同じく、家庭環境に何らかの問題を抱えていることは察せられるのですが、そこに関する説明は意図的にされておりません。前途した僕のエピソードの様に、なにかしら転校生特有のリアルな肉付けが欲しかったです。イジメられている子を助ける、行進の練習に馴染めない、等の形式上のテンプレイベントしか起きなかったのが残念でした。
愛に関しては、幼い頃に目の前で妹を亡くしたというショックや、機能不全家族という分かりやすい背景があるため、ピラミッドの洗脳に抗える理由にも納得がいきます。だからこそ、この異様な組体操に洗脳される人とされない人の明確なルール付けというか、集団に迎合しない側のキャラクターたちの心理的な骨子をもっと丁寧に提示してほしかったなと思います。例えば、分かりやすくヤンキーであったり、独特な世界観を持つ芸術家肌の生徒であったり、それぞれの理由ではみ出し者となって集団に馴染めない姿をアイコンごとに分けて描いてくれれば、ドラマとしての葛藤がより際立ったのかなぁと感じました。
このように、自分がいつの間にか周囲と同じ「モブ」と化していく恐怖というテーマに関して言えば、映画『モブ子の恋』の方がずっと切実で生々しく描かれていたように思えます。ある意味であちらの作品の方が、現代の若者が抱えるリアルな閉塞感を伝える上で、恋愛ものなのに純粋なホラーとしても観れるほどの迫力がありました。
リアリティラインを下げる舞台の拡張
物語の舞台を学校の枠を飛び越えて外の世界へと広げてしまったことも、リアリティラインを維持することを難しくした要因だと考えています。
映画『ネバーアフターダーク』が廃ホテルの中だけで展開し、ゲーム『8番出口』が無限に続く地下通路の中だけで物語を完結させたように、社会から完全に隔絶された「箱庭」の中で起こる怪異であれば、多少常識から乖離した不条理なルールが適用されても観客はさほど気にしないものです。
しかし今作は、作中での日数がぽんぽんと飛ぶだけでなく、怪現象の規模が日本全国にまで一気に広がってしまいます。その結果、せっかくのリアルな恐怖がファンタジーのような世界観へと変貌してしまい、寓話的なニュアンスが強まりました。すべて愛の「白昼夢」や「夢オチ」にした方がしっくりする位、現実味が薄くフワフワした世界になってしまっておりました。「まともな人間がおかしくなる」「正常な世界が異常になる」という落差が無く、「おかしな状態がそのままおかしな状態に移行する」というプロットになっており、ホラー映画における空間の使い方やリアリティの境界線の引き方というのは、本当に奥が深いものだと改めて実感させられます。
演出面の輝きと要素の不協和音
色々と惜しい部分について触れてしまいましたが、その一方で、演出面や画面の構図に関しては非常に面白い試みがたくさん見られました。キャラクターたちの目線の先に一体何があるのかを執拗に気にさせるような、いちいち不穏さを煽ってくる独特なカメラアングルや、シーンを盛り上げるノリの良いドコチャカ音楽、商用映画らしいクスッと笑ってしまうようなシュールなセンスなど、観ていて「ここ良いね!」という瞬間が数多く散りばめられておりました。
特に印象的だったのが、ピエール瀧さん演じる校長が、周囲の手拍子に合わせて「個人と♪」「個人が♪」「合わさって?」「しゅうだーーーん!!」と全力で歌い出すシークエンスです。あの場面のイカレっぷりとシュールな空気感は最高に魅力的で、ああいったコミカルさと恐怖が同居する笑えるホラーシーンは大好きです。
ただ、そうした秀逸な笑いの要素が、映画全体のドラマをさらにブーストさせていたかと言うと、ちょっと疑問です。例えば『見える子ちゃん』のように、最初から青春ホラーコメディの方向性へと完全に振り切っていれば、あのシュールさも作品の大きな武器になったかもしれません。
しかし今作では、幼い妹が車に轢かれて亡くなる凄惨な過去や、重苦しい一家心中の描写など、かなりハードなシリアス要素も同時に組み込まれています。そのため、コメディとしての軽快さと、シリアスとしての重厚さの塩梅が上手く噛み合わず、お互いのトーンが相殺し合ってるように思いました。
アイディアが秀逸だっただけに勿体なかった一作。
シンプルに純粋なホラー映画にしたかったのか、△と◯の戦いといったシュール系にしたかったのか、同調圧力をメタファーにした鋭い社会問題を描きたかったのか、高校生たちの恋愛や青春を描きたかったのか、それぞれの要素が上手く機能せず、結果として全体が焦点のぼやけた着地になってしまった印象です。
着眼点や個々のシーンのクオリティが素晴らしかっただけに、映画としてのバランスの難しさを感じさせる、本当にホラーの奥深さを思い知らされる一作でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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