「人間らしい執着」がもたらした記憶の復元と感動の展開
- 鑑賞日 2026/07/31
- 公開年 2026
- 監督 デスティン・ダニエル・クレットン
- 脚本 クリス・マッケナ、エリック・ソマーズ、ジャスティン・クリツケス
- キャスト トム・ホランド、ゼンデイヤ、ジェイコブ・バタロン、ジョン・バーンサル、トラメル・ティルマン、ライザ・コロン=ザヤス、マイケル・マンド、マーク・ラファロ
- あらすじ 愛する人々を守るため、全員の記憶から自らの存在を消去する決断を下した『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の出来事から4年。大人になったピーター・パーカーは、スパイダーマンとしてニューヨークの街と人々を守るために全力を注いでいました。しかし、そのプレッシャーのなかで彼の身体に驚くべき変異が起こり始め、さらに街では姿なき不可解な犯罪が頻発し、“親愛なる隣人”の前にかつてない大きな脅威が立ちはだかります。
- ジャンル アメリカ映画,アクション,SF,ドラマ,ワクワク
- 鑑賞媒体 映画館,スクリーンX
- お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)
感想
【この記事はネタバレを含みます!】
今作はスクリーンXでの鑑賞。初めてスクリーンXを体験したのは「スーパーマン」だったのですが、正直画面の引き伸ばしや、左右にどうでも良い風景を付け足しただけのクオリティで物語に集中できず、これは通常のスクリーンで集中できる方がいいな、と思っておりました。
スクリーンX専用に撮影された没入感
ですが今作はスクリーンX専用に撮ったとの事でもう一回チャレンジしまして、結果としては大満足!スイングの臨場感やアクションシーンの迫力は素晴らしく、物語のノイズになる事無くしっかり没入させてくれました。始めからワイドで撮影して、通常のスクリーンでは真ん中だけ使う、という贅沢な方法なのかなぁ?どの様に専用として撮影したのかはわかりませんが、前回のスクリーンXとは一線を画しておりました。
意外にも1番映えたのは、アクションシーンよりも、ビルの上から眺めるニューヨークの街並みでしたね。視野角一杯に広がるビル群や夜景は、スクリーンXととても相性が良かったです。案外アクション映画ではなく、静かな人間ドラマや、壮大な山岳・海洋映画などの方が、スクリーンXの活用法としては有用なのかもしれません。
終盤の忍者たちとの集団バトルやピーターの覚醒シーン、ジーンと真横画角で対峙する場面など、横長を意識したアングルが沢山あって、スクリーンXありきで構図を考えられていると思われる箇所が一杯ありました。とにかく追加料金を払う価値が十分あります。
過去作は全て字幕版で鑑賞してきたので、吹き替え強制になってしまうのは残念ですけど、AIがミサトさんだったのは嬉しい発見でした。三石琴乃さんボイスを聞いた時の、実家に帰ってきたような謎の安心感(笑)
孤独と悲しみから逃避するピーターの可哀想な姿
物語としては、とにかくピーターがずっと可哀想!冒頭から、MJとネッドの華やかな大学生活から始まり、その寂しさを打ち消すようにヒーロー活動に勤しむピーター。誰もいない部屋に一人で帰り、宅配ピザを食べ、ひたすら孤独にニューヨークの治安維持に勤しむ。その姿にはやり甲斐などは微塵も感じられず、二人に忘れられた悲しみからの逃避行動にしか見えません。
特に中盤、MJとのキスで記憶が戻った!と思いきや、敵の憑依でした草ぁぁ!という展開は鬼畜過ぎてかわいそ過ぎです…超貴重なMJの闇落ち顔にはゾクゾクしましたけどね。でも、この人間臭い葛藤こそ、僕がスパイダーマンに求めるものです。
巨大な世界観よりも箱庭で描かれる人間ドラマの魅力
と言いますのも、今作もドゥームズデイに繋がる色々な伏線や、ブラック・ウィドウなどに見られるマーベルユニバースのファンサービスが散見されますが、僕は全てのシリーズを追っかけている訳ではないので、そこにあまりカタルシスを感じてはいません。あくまで一つの映画としての完成度を求めています。
なので、全マーベル作品の中で、このトムホ版スパイダーマンシリーズが、ピーターパーカーという一人の青年の物語として1番感情移入できます。宇宙規模の話ではなくニューヨークという箱庭での舞台がパワーインフレを起こさないし、MJとの恋愛やネッドとの友情も等身大で伝わりやすい。何より他の顔出しヒーロー達と違って、素性を隠して善行をするというのが、タイガーマスクよろしく、日本人としてとても馴染み深いです。そして、その正体を隠すという行為が、自己犠牲のドラマとして機能するのが秀逸なのです。
「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」などが個人的に刺さらないのは、世界観と目的だけ巨大で、人間ドラマの掘り下げが後回しにされているからだと思います。
一人では生きて行けないヒーローの宿命と気づき
大切な人から忘れられても、孤独にヒーローとして生きるその矜持。大いなる力を持ってしまった者としての宿命。この普遍的な葛藤は、シリーズを通して本当に見応えがあります。前作が完璧な終わり方をしたのに対し、この続編が蛇足にならなかったのは、その宿命に対して一つの落とし前をしっかりと付けたからだと思いました。
すなわち、いくら超人的なヒーローであろうとも、「一人では生きて行けない」という事。
前作で「大切な人達から忘れられる」という壮絶な選択を自ら決断したピーターですが、やはりそれはとてもとても一人の人間が耐えられる孤独ではありませんでした。あの「うしおととら」のうしおでさえ絶望しましたからねぇ。
大切な人から自分という存在が消えてしまうという事。積み重ねてきた思い出や絆が全て共有できなくなるという事。どんな痛みや苦しみよりも、想像を絶する孤独に、彼は足掻き藻掻き、ギリギリまで一人で頑張るのですが、最終的に「他人に助けを求める事」の大切さに気付きます。もしシリーズが前作で終わっていたら得られない、人生に欠かせない気付きですよね。今作でまた一つピーターは大きく成長するのです。
スーパーヒーローのガワを被ってはいますが、描いているのはティーンエイジャーが様々なイニシエーションを経て大人になっていく普遍的な物語です。これが圧倒的に他のマーベル作品にはないドラマ性で、これこそが僕の一番好きな部分です。(それならヒーロー映画観るなよ、という話なのですが(汗))
トイストーリーもそうですが、「前作で完璧だったろ⁉続編なんて無理だって!」というハードルを越えてくる制作陣は本当にすごいです。どんな脚本会議してんだろ。
表裏一体の存在であるジーンとの鮮烈な対比
その成長譚を更に補強させる為に登場するのが、人に憑依する能力を持つジーンという女性です。彼女もピーターと同じく大切な人を亡くし、天涯孤独の身。要はピーターと表裏一体のキャラクターで、写し鏡の存在ですね。
ただ一つ違ったのは、ピーターにはMJとネッド、そしてメイ叔母さんがいたこと。ここがピーターとジーンの運命の別れ目でした。彼らの存在が、ピーターを闇落ちから救い、「両方だ」の名言と共に覚醒する力となります。存在を忘れられたとしても、ピーターの中での彼らとの思い出と絆が、蜘蛛の第1段階の成長のトリガーとなるのですね。
対してジーンには拠り所が姉しか居らず、その姉を失ったばかりに力を暴走させます。大切な人が居る者といない者の対比が切なく見事でした。
メイ叔母さんの記憶が紡ぐ愛の循環と救い
そんなジーンを救うのが、ピーターの中に残るメイ叔母さんの記憶、というプロットが素晴らしすぎます。ここは今作屈指の感動シーンでした!
メイ叔母さんは亡くなってしまいましたが、ピーターは常日頃お墓に花を手向ける程、彼女の事を大切に想い続けてます。その行為がそのまま愛情の総量として、メイ叔母さんの記憶として強く心に残り、結果その記憶がジーンを救うという、まさに愛の正しい循環。天涯孤独だったジーンが救われる流れとしては、ご都合主義でもなくお涙頂戴でもなく、見事に計算しつくされた超説得力のある展開でしたね。
そのジーンが救われた事によって、ピーターもメイ叔母さんを過失で亡くしてしまった後悔から解き放たれます。お互い同じ苦悩を経験し、大切な人を亡くしたが、故に孤独ではない、という、大いなる力を持つ者同士でしかわかり合えない境地に辿り着くのです。これはメイ叔母さんでもMJでもネッドでも補完出来ない、ピーターの唯一の理解者ですよね。物凄く美しい帰着でした。
彼女のチート能力はドゥームズデイで滅茶苦茶重要な役割を果たしそうです。話題のキャプテンアメリカ登場にも関与してそうですよねぇ。なんだろ、予告では宇宙船で登場していたから、ウラシマ効果を用いて過去から連れてくるのか、記憶だけ持ってくるのか。あの文句のつけようがない完璧な退場から、どういうロジックで再登場させるのか非常に興味深いですね。
人間らしい「執着」が記憶の扉をこじ開けた瞬間
ジーンの能力によって、MJとネッドの記憶が蘇る流れもとても自然で素晴しかったです。ここは正直、相当脚本を練り込まないと、ご都合展開としてシラケてしまう懸念が多いにありました。単純にジーンの憑依するという能力だけで記憶が蘇ったのであれば、「なんじゃそりゃ」と話にならないと思うのですが、そこにちゃんとピーターの苦悩と未練を足す事によって、記憶の蘇りに物凄い説得力を与えてくれてます。
ピーターはただ待っていただけで彼らの記憶が戻った訳ではありません。MJに関しては、真実を書いたメモをいつまでも捨てきれずにいた所為で本人にバレてしまったり、あげくには諦め切れずに「愛してる」と伝えてしまう。(ここで「あなたの事を覚えていないので愛せない」と伝えられる場面は辛すぎた(泣))ネッドに関しては、たまたま街中で見かけた時につい家まで尾行してしまう。良く言えば愛情ですが、悪く言えば「執着」を捨てきれずにいたのです。
ですが、その二人に対する執着こそが、彼らの記憶のドアを少しだけ開けていたと思うのです。そのほんのわずかな隙間があったから、ジーンの憑依能力で記憶のドアをこじ開けられたのでは無いでしょうか。もしピーターが二人に対して執着がなく、力に溺れてヒーロー活動に飲み込まれていたら、いくらジーンの能力があっても記憶のドアを開ける事は不可能だったように思います。
一人は寂しい、やっぱり恋人といたい、友達と笑い合いたい、という、未熟で恥ずかしいけど実に人間らしい「執着」が、彼らの記憶を戻したのだと思いました。いや、ほんと、最後ネッドとハンドサインをし合う場面は涙涙涙ですよ。あえてMJを登場させずに、金縛り状態の時に涙を流す事で思い出した事を示唆する程度に匂わせてるのも憎いですよね。
続編まじでどんな始まり方にすんだろ。あっさり三人元に戻ってる日常から開始するんですかね。「皆から忘れられてる」と言う設定が使えない以上、ドラマとして滅茶苦茶ハードル高そうですよね。脚本家の腕の見せ所です。
一本の映画として完結させる姿勢と変わらない配役への感謝
マーベルあるあるの続編ありきで映画を作る姿勢があまり好きではないので、トムホ版スパイダーマンの、毎回一つの映画として完結させるのが、とてもありがたいです。今作も大きな山場を越えて、「ジーンが姉の事を探している」、という所で「続きは2で!」にしてもよさそうな所を、145分という尺を使って最後まで気持ちよく終わらせてくれます。
また、最近はあまり見なくなりましたが、大人の事情で配役が途中で変わる、というのも無くて嬉しいですよね。「トランスフォーマー」でしたっけ、1で生死をかけて支えあったヒロインが2ではアッサリ破局して別人になっていたという(泣)どうかスパイダーマンでは最後までゼンデイヤさんでお願いしますです。
作中にちりばめられた妄想の楽しさ
途中でブラックウィドウから、「ミセス・スパイダーマン」とかいないの?という世間話がありましたが、ゼンデイヤ版スパイディーもあるの?とちょっとワクワクしました。あるいは、トムホがあの終盤で本当に退場してジーン版スパイディーになるとか?全編そういったミスリードや妄想出来る小細工を沢山入れてくれて、終始ワクワクしながら観れました。
覚醒をあと二回残してるのも設定としてなかなか冒険しましたよね。マンネリ化せずあと二回の覚醒をどうやって描くのか。フリーザ様ばりのカタルシスを与えるのは相当難しいと思いますが、最終的にどんな変身が待っているのかとても楽しみです。
完璧に完結した前作のハードルを、「ピーターの孤独と葛藤と成長」で乗り越え、要素盛り盛りでありつつごちゃごちゃしないプロット、そして最後には大きな感動とカタルシスを感じられる、という素晴らしい傑作でした。
他のマーベル単品映画も、このレベルの熱意で作ってほすぃー!
イラストのタイムラプスです↓
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