シャマラン監督自書伝としての一作
- 鑑賞日 2024/10/29
- 公開年 2024
- 監督 M・ナイト・シャマラン
- 脚本 M・ナイト・シャマラン
- キャスト ジョシュ・ハートネット、アリエル・ドノヒュー、サレカ・シャマラン
- あらすじ 溺愛する娘とポップスターのコンサートにやってきた優しい父親クーパー。しかし、そのクーパーこそが、警察がコンサート会場に仕掛けた「トラップ(罠)」の標的である、指名手配中の連続殺人犯だった。観客3万人で埋め尽くされた巨大アリーナを舞台に、父親のもう一つの顔、そして警察とのスリリングな攻防が描かれる。
- ジャンル アメリカ映画,スリラー,サスペンス
- 鑑賞媒体 映画館
- お気に入り △(×、△、〇、◎の四段階)
感想
※ブログを始めた2025年より前の鑑賞体験である為に、リアルタイムで観た映画に比べて感想が短めになっております。二回目を鑑賞する事があれば、詳細を追記できればと思います。
映画『トラップ』、悪い癖ですがついついM・ナイト・シャマラン監督の作品は、何か深い含みがあるのかと期待しまいます。残念ながら僕には主題や描きたい部分がよくわかりませんでした。
だからこそ、彼のトレードマークであるどんでん返しの呪縛から、いよいよ解き放たれたのかな、と妙な安堵をいたしました。
舞台の移行とワンシチュエーションの面白さ
久々にジョシュ・ハートネットさんの演技を観られたことは非常に嬉しかったです。当時同じように一世を風靡していた、アシュトン・カッチャーさんもまた観たいなぁ。作中からはシャマラン監督の娘さんへの偏愛がひしひしと伝わり、ここまでくるとすがすがしさを覚えます。まさに素晴らしい娘さん宣伝映画に仕上がっておりました。
作品の前半は、コンサートアリーナという限定された空間からの脱出劇を描くワンシチュエーションスリラーとして進みます。てっきりそこからの脱出というのが命題かと思っていたのですが、中盤からあっさり舞台が外に広がり、リアリティラインが一気に引き下げられます。
限定空間での緊迫感を期待していたので、後半に舞台が外枠へ遷移する展開は、どうしても緊迫感がゆるんで失速した印象を受けました。会場から外へ出てしまう展開よりも、様々な工夫を凝らして逃げ回る、広い会場を最大限に活かしたワンシチュエーションスリラーだったらもっと見応えあったのになぁ、と個人的には思いました。
また、厳重とされるFBIや警察の包囲網をクーパーが簡単に潜り抜ける点や、アーティストであるレディー・レイヴンの見せる不自然な行動力など、サスペンスとしてのプロットにはかなり強引な部分もあります。個人的なイメージですが、シャマラン監督は舞台が小さいと名作を作り、広げると迷作を作るという印象を持っていますが、今作はちょうどその中間という中途半端な位置づけです。配信で観ると秀作と感じる一方で、お金を払って劇場で観ると物足りない、という結果になってしまいました。
シャマラン監督の自叙伝としての解釈
物語の縦軸自体は曖昧なまま終わりますが、クーパーの人物像を監督自身に重ね合わせるとちょっと変わった見応えが生じます。完璧な計画で犠牲者を監禁して状況をコントロールしようとするクーパーの姿は、映画という枠組みで観客の感情を完全にコントロールしようとする映画監督のメタファーとして読み解くことができました。
シャマラン監督はキャリアを通じて徹底的に家族の崩壊と再生を描いてきました。本作のクーパーもまた家族を愛する父親ですが、同時に抗えない殺人衝動を持っております。それはシャマラン監督の創作の狂気、あるいは『シックス・センス』の呪縛から逃れられないという内面にも重なります。良き父親としての自分とあらがえない殺人鬼としての自分が監督自身の自叙伝であるとするならば、サスペンスとの融合として非常に面白い試みです。
解き放たれる手錠と次回作への期待
劇中で手錠をかけられて捕まったクーパーの姿を見て、監督が娘さんに後を任せて引退してしまう暗喩なのかと思いました。しかし、彼はその手錠を解き放ち脱走を果たします。
このラストを次回作への意気込みや監督引退の否定と捉えると、単なる物足りないサスペンスが監督の作家性を楽しむメタ映画へと変わります…変わるのかな?(笑)強引にこの様な見方をしておりますが、スピルバーグ監督にせよ宮崎駿監督にせよ、自身のトラウマを作品に昇華して名作足りえるのは、あくまで最高に面白いプロットが前提にあるからです。
ちょっと今作は行き当たりばったりな逃走劇の印象が拭えず、テレビドラマレベルの満足感に落ち着いてしまいました。手錠を外して逃走したクーパーの如く、シャマラン監督の次回作に期待です。
イラストのタイムラプスです↓
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