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【映画レビュー】「侍タイムスリッパー」

映画

失われゆく職人魂と歴史の体温を次の時代へ繋ぐ

  • 鑑賞日 2024/10/14
  • 公開年 2024
  • 監督 安田淳一
  • 脚本 安田淳一
  • キャスト 山口馬木也 也冨家ノリマサ 沙倉ゆうの
  • あらすじ 幕末、会津藩士・高坂新左衛門は、家老より直々に長州藩士・山形彦九郎を討つ密命を受け、同志・村田左之助とともに京都に赴き、西経寺の前で山形を待ち伏せて襲いかかる。しかし戦いの最中、落雷により現代(設定では2007年頃)の京都にある時代劇撮影所へタイムスリップしてしまう。
  • ジャンル 日本映画,アクション,歴史,ドラマ,泣ける,考えさせられる
  • 鑑賞媒体 映画館
  • お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)

感想

※ブログを始めた2025年より前の鑑賞体験である為に、リアルタイムで観た映画に比べて感想が短めになっております。二回目を鑑賞する事があれば、詳細を追記できればと思います。

固唾を呑む、息を止める、充血する程拳を握り、見入る。

終わった瞬間シャイな日本の劇場で拍手が起きました。日本の観客が上映終了後に拍手を送ることは滅多にありません。その事実は、この作品が単なるエンターテインメントを超えて、観客の魂を震わせ、「敬意を払わずにはいられない何か」を提示した証拠です。

背負うか放るか、忘れるか足掻くか、断つか赦すか、過去か未来か。

この脚本の普遍性は世界が欲しがりますよ。感動した、興奮した、本当に素晴らしいものを観ました。

過去と現在の間で葛藤する男の生き様

滅びゆく江戸という時代の誇りを背負い続けるのか、それとも令和という今を受け入れて過去を放り投げるのか。それは、今の社会を生きる僕たちの「過去の自分と今の環境」の折り合いをどうつけるのか、という葛藤にも重なります。かつての使命を忘れて楽に生きることもできる。けれど、高坂新左衛門は泥臭く足掻き、今の場所で「刀を振るう意味」を見つけ出そうとします。

劇中で彼がケーキを食べるシーンで、「日本はこれほど美味いものが食べられるほど豊かになったのか」と涙する場面は本当に胸に迫りました。今、当たり前にある数々の環境は決して当たり前ではないという事を、視覚的に伝えてくれます。しかし本作が素晴らしいのは、それを単純なセリフだけの綺麗事で終わらせず、そこに至るまでにどれほど死屍累々の歴史があったのかを、会津藩の凄惨な歴史を踏まえて真摯に伝えてくれるのです。

新左衛門がいた時代に比べてはるかに豊かで、飢え死ぬこともなく、夜は安心して眠れる。それこそ彼らからしてみれば極楽浄土のような生活でしょう。この時代におもねり、いくらでも楽に生きて行くことができたはずです。だけどもこの世界は、かつての自分たちの盟友たちの屍の上で築かれている事を知ってしまった。自分だけのうのうと生きて行く訳にはいけない。その葛藤の凄まじさたるや…

僕達も世界の至る事で戦争が起き、子供達が死んでゆく現実を知りながら、その事実を麻痺させ日常生活を暮らしております。真っ向から向き合ってしまうと心が壊れてしまうからです。何もしない自分に常に心のどこかで罪悪感を抱えながら、「せめて自分の半径2kmだけでも幸せにしたい」などと言い訳をしながら生きている。なので新左衛門が苦悩し、やがて選び出す結末には、平和な先進国に住む僕達観客の葛藤する心に、ズシンと楔を打つ衝撃だったのです。

緊張感あふれる真剣勝負と赦しの精神

かように、「星の王子様ニューヨークへ行く」の様に、前半はケラケラと笑えるコメディで惹きつけてくれ、後半はかなり内面まで踏み込んだ見事なドラマで魅せてくれます。それを経て始まるクライマックスの真剣勝負の没入感たるや!

完全に劇場から音が消え、そのあまりの緊張感に観客は身じろぎ一つできません。呼吸すら止めてしまう程の張り詰めた空気。あんな剣戟シーンは今までどんな映画でも見たことがありませんでした。それは物語の整合性を取るためのパズルではなく、「キャラクターの生き様」を極限まで描き切ったからこそ、ドラマとアクションが爆発した結果だったのです。

ただ、迫力のある殺陣を見せればいい、派手に血を飛ばせばいい、ではなく、丁寧に丁寧にドラマを積み重ねる事の大切さを改めて肌感覚で実感できました。

国境を越えて響くテーマと脚本の普遍性

ラストが表すように、今の時代において復讐や憎しみをどう処理して他者を赦すのかという精神的アップデートを施されている点が、本作を新時代の大傑作に仕立て上げています。かつての敵を赦し、共にひとつの文化を守るというクライマックスの展開は、分断が進む現代の世界情勢において、世界が喉から手が出るほど欲しがっているプロットではないでしょうか。もちろんキーワードにすると散々使い古されたテーマではありますが、今作の脚本の普遍性とブラッシュアップが尋常ではないのです。

例えばアメリカならば、西部劇の撮影所に置き換えて19世紀の荒野からタイムスリップしてきた本物のガンスリンガーが、現代のスタントマンとして生きる道を選ぶ物語が作れるでしょうし、ヨーロッパなら中世の騎士が現代のフランスやイギリスに現れる展開になるでしょう。西部の掟や騎士道精神など、世の東西を問わず今は失われた誇りや価値観はどの国でも必ず存在します。

主人公が語っていたように、「あの頃を生きた人々を今の時代に伝える義務がある」という姿勢は非常に共感を呼ぶし、IT化が進んで職人の手が不要になり、効率ばかりが重視される現代だからこそ、不器用なまでに真っ直ぐな人間の姿は国境を越えた救いになるハズです。自分の存在意義を懸けてどう死ぬか、あるいはどう生きるかを模索する姿は、どの文化圏でも最高に熱い物語へ変換できますし、舞台設定を入れ替えても芯の熱量が全くブレないでしょう。

時代劇という扉が繋ぐ過去と未来

本作が時代劇の撮影所を舞台に選んだ理由を通して、「時代劇」というジャンルそのものが持つ深い意義を初めて勉強できました。時代劇は虚構でしか伝えられない真実を映し出します。歴史の教科書にはデータしか載りませんが、時代劇はそこに汗や涙や殺気を吹き込みます。切られ役、殺陣師、小道具といった裏方たちの情熱や、職人たちがこだわり抜いた衣装や殺陣が合わさることで、僕たちは初めて過去の魂に触れることができるのです。

これは日本の時代劇に限らず、世界のあらゆる消えゆく職人芸に通じる普遍的な哀愁と誇りです。特に「戦前」「戦後」の世界大戦を経て、地続きの歴史が一旦途絶えた感覚に陥っている日本人にとって、時代劇とは、過去の日本人と今の僕たちを繋ぐ唯一無二の扉だと感じました。

子供のころテレビのゴールデンタイムで栄華を誇っていた時代劇は、現在、非常に厳しい状況にあると聞きます。本作はその消えゆく技術へのリスペクトに溢れており、かつての侍たちが現代で斬られ役として生き抜く姿は、形を変えてでも守るべき本質を次の世代へ繋ぐという、全クリエイターへのエールに見えました。

受け継がれる魂と普遍的な熱量

本作の核心は単なるタイムスリップの面白さではなく、かつてあの時代を懸命に生きた人々を今の時代に正しく伝えるという作り手の切実な使命感です。

物語の中で主人公がかつての仲間を想い、その誇りを守ろうとする姿は、歴史という年号だけの大きな括りではなく、そこに確かに体温を持った人間がいたという事実を今の時代にリレーする行為そのものです。それは世界中の国々が、自国の歴史とご先祖様を慈しむ事で、イコール、他国の歴史とご先祖様も大切にしよう、という流れに繋がると思います。

映画という娯楽を通してその魂を得られたことに、とてつもない幸福感を感じました。自分も後世に、過去の人々の営みを知り、少しでも伝えてきたらいいな、と思いました。大傑作でした!


イラストのタイムラプスです↓

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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上映後ロビー