【映画レビュー】「箱の中の羊」/巨匠の予測を追い越すAIの進化

映画

【箱の中の羊】

  • 鑑賞日 2026/06/05
  • 公開年 2026
  • 監督 是枝裕和
  • 脚本 是枝裕和
  • キャスト 綾瀬はるか、大悟(千鳥)、桒木里夢、清野菜名、寛一郎、中島歩
  • あらすじ 息子を亡くして2年が経った夫婦のもとに、亡き息子の姿をしたヒューマノイド「翔(かける)」が届きます。喜びを隠せない妻と、戸惑いを隠せない夫。再び動き出した家族の時間の中で、やがてそれぞれが抱える息子の死への想いや葛藤が露わになっていきます。
  • ジャンル 日本映画 ヒューマン ドラマ
  • 鑑賞媒体 映画館
  • お気に入り △(×、△、〇、◎の四段階)

感想

是枝裕和監督の最新作『箱の中の羊』。率直な感想を言うと、千鳥の大悟さんの演技が本当に素晴らしかった一方で、重厚なヒューマンドラマの名手である是枝監督らしくない、何を言いたいのかが掴みにくい脚本だと感じてしまいました。

僕自身がAIという未知の技術に対して明確な定義付けをできていないせいで、どういう視点で作品を観ればよいのか迷ってしまった部分もあるのかもしれません。

確定した現実と不確定な未来の狭間で

是枝監督がこれまで手掛けてきた『誰も知らない』や『万引き家族』、あるいは前作の『怪物』などの名作は、すでに社会に厳然と存在する「制度の歪み」や「人間の偏見」といった、いわば「すでに存在する社会問題(確定した現実)」をモチーフにしていました。現実の輪郭がはっきりしているからこそ、監督の鋭い眼差しが深く共鳴を生んでいたのだと思います。

しかし今作は、未来がどうなるか誰も正解を持っていない「これから起こる予想した社会問題(不確定な未来)」を扱ってしまいました。この「実際起きている問題を描くこと」と「これから起こる問題を描くこと」の差こそが、今作のピントを狂わせた最大の原因の様に思います。

現代のAI観と映画のタイムラグ

一昔前であれば、ロボットが魂を持つという設定にも、AIに対して一種のファンタジーを抱くことができましたし、夢を見ることができました。しかし今や、僕たちの日常には中途半端に身近にAIが存在してる黎明期です。

寄り添うように見えて実は人間が喜ぶことしか言わなかったり、ハルシネーション(もっともらしい嘘)を起こしまくったりすることを、僕たちは身をもって体験してしまっています。だからこそ、AIは決して万能ではなく、あくまでプログラムなんだということが肌感覚で分かっているのです。

世界中がこのような価値観でアップデートされている中で、息子を模したヒューマノイドがまるで自我を持つかのように進むドラマを観ると、AI観が少し古く感じられてしまうのは否めません。ここ一、二年でのAIの進化は、人類が何百年もかけて農耕を発明したり、産業革命を起こしたレベルを一気に進めたような凄まじさがあります。特に先月には「ミュトス」も登場してさらなる加速が予想されるため、未来予測なんて誰にも不可能な時代になってしまいました。これは表現活動を行うクリエイターにとっても相当な課題なのだと思います。

この脚本が書き始められた時期は、あくまで予想の範疇ではありますが、2023年から2024年にかけての、ChatGPTの初期バージョンが登場して世間が漠然とした熱狂に包まれていた頃の空気感だったのではないかと思います。当時はまだ映画的なファンタジーとして許容できた設定が、技術の超加速によって、2026年の現在の観客の肌感覚を完全に追い抜いてしまったのかもしれません。

不完全な人間設計と大悟さんの大金星

脚本のテーマには困惑したものの、人物描写に関してはさすが是枝監督、見事な部分がたくさんありました。特に大悟さんの起用については、「ここにタルタルをミチャチャチャチャ!」「ちゃちゃかか」といった僕の大好きなコントのキャラクターがノイズになるのではないか、と心配しておりましたが、是枝監督の賭けが完全勝利!

コントの大悟さんでもなく、芸人としての大悟さんでもなく、地方の工務店社長としての自然体な大悟さんがそのまま演じられており、観ていて全く違和感がありませんでしたし、むしろ、主演の綾瀬はるかさんを食ってしまうほどの、圧倒的な生の現実味を放っていました。

そして相変わらず、是枝監督の作品に出てくる子役たちの演技は、大人が用意したセリフをなぞるような「えーん、えーん」といった昔ながらの棒読み感が一切なく、本当に安心して物語に没入させてくれますね。

夫婦の人物設計はとても魅力的で、大悟さん演じる健介は、パチンコにハマって子供の迎えに遅れてしまうような俗っぽくてだらしない父親ですし、綾瀬さん演じる音々は一見すると良き母親のように映りますが、「母親をやめる」と何度も子供に伝えてしまう実母の重いDNAを悲しく引き継いでいます。

監督はそれを言葉で説明するのではなく、彼女が設計した自宅の情景で伝えているのが実に鮮やかでした。スタイリッシュで美しい家ではあるのですが、渡り廊下に柵がなくて危険極まりなかったり、子供が何度も自由に出歩けるのを気付かない位注意力が欠如していたりと、音々は無意識に「ガワ」にこだわってしまう人物として描かれており、不完全な二人のバランスが絶妙でした。美しくてモダンでとても映える住宅なのに、あそこに住みたいな、と思える快適性はありませんでした。それは子を亡くした喪失を、ガワだけ似てるヒューマノイドで傷を癒そうとする行為に結びつきます。

後半の絵空事への違和感

この様に卓越した人物描写を得意とする本来の是枝監督であれば、子を失った不完全な夫婦が、ヒューマノイドという依り代を得たことによって再生していくのか、あるいは破滅していくのかという、人間の心理に体重を乗せた教訓めいたヒューマンドラマとして深く描き切れたと思います。しかし物語の後半は、なぜかAIたちが独立の旅に出るという、イマイチふわふわした絵空事のような展開に舵を切られておりました。

ヒューマノイドたちが樹木に耳をつけていたのは、中盤で工務店の大工(田中泯さん)から木の切れ端をもらって耳を当てていた描写の回収ではあったり、音々が口にしていた「木とガラスを相容れたい」という言葉の重複であったり、また、劇中で唐突に妹がセリフだけで「兄弟のうち一人を養子にした」という設定を放り込んできますが、「血のつながらない家族」というテーマを強引に並列化するためのパーツとして置かれた印象を受けます。エピソードとして深く掘り下げられないまま設定の箇条書きのようになってしまっているため、どうしても物語のノイズとして浮いてしまっていました。

国内外の価値観の違い

そして、この作品がカンヌをはじめとする国際的な舞台で一部厳しい評価を受けた理由が、まさに前途した時代によるAI観のミスマッチが起こした結果なのかな、と推察します。特に夫婦の成長物語からヒューマノイドの独立へとテーマが変わってしまったため、SFに目が肥えた世界の観客にはチープに見えてしまったのかもしれないです。

プラス、個人的に思う事として、文化的な価値観の断絶があったのではないかと推察します。日本には古くから、八百万の神々が万物に宿るというアニミズム的な精神性が根底にあります。道具や機械にさえも魂や心を見出すような感性があるからこそ、ドラえもんや鉄腕アトムの様に、ヒューマノイドを家族として受け入れていく情緒的な物語が成立するのです。

しかし、西欧の一神教的な価値観においては、人間と機械の間には絶対に超えてはならない強固な境界線が存在しています。キリスト教思想の根底には、生命や魂を与えることができるのは唯一神のみであるという絶対的な前提があるからです。人間が作った機械に対してあたかも魂が宿ったかのように描き、そこに人間と同等のドラマを見出そうとするアプローチは、彼らのシビアな宗教観や倫理観からすると、どうしても相容れない違和感を生んでしまうのではないでしょうか。

そのため、海外の批評家層から見ると、今作の着地点は彼らが激論を交わしている最前線のシビアな倫理や哲学のレイヤーに到達しておらず、生ぬるいファンタジーのように受け止められてしまったのではないか、あれもこれもと概念的な設定を詰め込みすぎた結果、後半に進むにつれて物語のリアリティとテーマの強度が薄まってしまったのではないか、ともったいない気がしました。

新興技術を扱う難しさ

今作に限っては、監督自身もまだ予測がついていない不確定な未来を扱ったために、AIが人類にとって敵なのか味方なのか、あるいはどのような文化的爆発を起こすのかという核心の部分で問題提起のピントが合わなかったのかなぁと思いました。それほどまでに現在のAIの進化スピードが、巨匠の予測さえも一気に追い抜いてしまう困難な題材です。

これまでの是枝作品の異常な打率の高さを考えると寂しさはありますが、人間側の生々しいリアルさと、テクノロジーという異質の前での戸惑いが同居した、非常に現代的な歪みを感じさせる一本でした。ビバ!大吾さん!


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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