【アニメレビュー】「ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー」/ファンへの誠実さと、マリオ的表現の難しさ

アニメ

【ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー】

  • 鑑賞日 20260429
  • 公開年 2026
  • 監督 アーロン・ホーバス、マイケル・ジェレニック
  • 脚本 マシュー・フォーゲル
  • キャスト 宮野真守、志田有彩、畠中祐、三宅健太、関智一、坂本真綾、山下大輝
  • あらすじ キノコ王国で平和に暮らしながら、捕らわれたクッパの世話や困りごとの解決に奔走するマリオとルイージ。ある日、新たな相棒ヨッシーと出会った二人は、ピーチ姫の誕生日パーティをきっかけに、クッパの息子クッパJr.が抱く邪悪な野望を知る。宇宙の王女ロゼッタを巻き込み、マリオたちは銀河を舞台にした壮大な冒険へと旅立つ。
  • ジャンル アメリカ・日本合作 アドベンチャー、アクション、アニメーション
  • 鑑賞媒体 映画館(吹き替え版)
  • お気に入り △(×、△、〇、◎の四段階)

感想

超国民的ヒーローであるマリオに対してこのようなことを言うのは恐れ多いけど、個人的に今回の作品は「△」という感想になってしまった。

前作が「マリオたる所以」をしっかりと核に据えた仕上がりで、僕はいたく感動し、ワクワクしたのですが、今作に関しては、良くも悪くもよくあるハリウッド映画の型にはまってしまったような印象を受けました。

小ネタは豊富でファンサービスも盛りだくさんですが、それらがマリオ独自の属性とうまく絡み合っていないため、「このお話はマリオでなくてもいんじゃない?」と感じてしまったのです。

豪華なルックと任天堂への愛

映像のクオリティ自体は非常に豪華で、日本のコンテンツに対してこれほどの予算と時間をかけて制作してくれたイルミネーションには、心から感謝しています。

叶わぬ願いかもですが、日本の全てのコンテンツにこれほど潤沢な予算をかけて丁寧に作ってほしい。それくらい作品全体からマリオへの愛は伝わってきましたし、ファンに対して誠実な作りであったとも思います。

「マリオらしさ」を欠いたアクションの挙動

それでも、アクションゲームの祖であるマリオブラザーズにとって、一番の見せ場であるはずのアクションが、従来の「海外3Dアニメ特有のコミカルな動き」に終始していた点は気になりました。マリオらしい重力を持ったゲームの動きとは少し違うように感じたのです。

もちろん、ピクセル調の演出や横スクロールの構図、おなじみのカエルやファイアマリオといった要素は登場し、表層的にはマリオの世界をなぞっています。しかし、動きの質そのものはミニオンやディズニー、ピクサー作品でよく見るコミカルなデフォルメされたものです。

前作では敵を踏みつける動作や落下の挙動など、ゲームらしい感覚を意識していたように思いますが、今作では任天堂の関与が少なくなったのでしょうか、どのキャラクターのアクションも、既視感のある場面ばかりでした。

宮本茂さんの魂を感じる操作性

ファミコンのシンプルなコントローラーで、いかに直感的に、そして音楽に合わせて気持ちよく動かせるかを研究し尽くして生み出されたスーパーマリオ。その生みの親である宮本茂さんの、魂が宿る神がかった操作性を、今回の映画のアクションからはあまり感じ取ることができませんでした。

前作で抱いたようなワクワク感が薄れてしまったのは、おそらく「マリオでなくても成り立つ動き」だったからだと考えています。今作をトイ・ストーリーやディズニープリンセスの作品に置き換えても、違和感なく成立してしまう動きに見えてしまう。特にスローモーションを多用した要素は、実際のゲームの爽快感とは別ベクトルのものです。

任天堂のキャラクターを多数登場させ、横スクロールの構図やピクセル調、他作品のキャラクターがアベンジャーズのように集合するガワの贅沢さは尋常ではありません。ファンにとって嬉しい要素は多いものの、肝心の「マリオの映画」としては、少し残念に思います。

物語とアクションの乖離

動きの既視感に加えて、アクションシーンの挿入の仕方も少し厳しいものがありました。物語の8割近くがアクションシーンで、画面全体が目まぐるしく動き回る、非常にお金のかかったシークエンスがたっぷりと用意されていますが、それらの多くが物語と有機的に繋がっておらず、僕の苦手な「話が止まってしまうカーチェイス」状態になっていたのです。

アクションによって物語が深まったり問題が解決したりするわけではなく、ただドタバタと次の場面へ移行するための役割しか果たしていないため、どれほどルックが派手でも退屈さを感じてしまいます。

もっとも、マリオというゲーム自体が物語性を重視するコンテンツではないため、これは仕方のないことかもしれません。前作は「マリオとは何か」というメタ的な視点をうまく使って成功していましたが、その飛び道具が使えない続編で何を描くのかと不思議に思っていたところ、やはり、このようなファンサービスに特化した映画にするしかなかったのかもしれません。

掘り下げ不足なキャラクターの関係性

それでも、とはいえ、クッパの善悪観やジュニアとの親子の確執、ピーチとロゼッタの生い立ち、マリオの恋模様、そしてなによりヨッシーの立ち位置などは、もっと丁寧に描く余地があったように思います。原作の物語性が薄いのであれば、だからこそ映画としてそこを補強できたはずです。

特にクッパについては、ライバルであるマリオからの許しやピーチへの恋の断念、ルイージとの奇妙な友情、そして何より自分のせいで歪んでしまった息子への複雑な偏愛など、一重にも二重にも重層的で魅力的なキャラクターになる可能性を多大に秘めていました。しかし、尺の関係か、それらの要素が十分に帰着しないまま、ただの舞台装置として終わっていたのが非常に残念です。

次世代へ繋ぐ作品としての責任

子供向け作品に対して求めすぎだと怒られるかもしれませんが、子供向けだからこそ、彼らに嘘をつかない誠実なプロットが必要だと個人的にはいつも考えます。

映画を観終わった子供から「どうしてクッパはマリオを裏切ったの?」と聞かれた際、「クッパはジュニアに対して責任を感じていてね」と納得感のある説明ができる作品であってほしいのです。それを示唆する描写はありましたが、描き込みが圧倒的に足りない。

その理由としては、ファンムービーとして人気キャラクターを多数登場させた結果、一人一人の描写が薄味になり、最後は大掛かりな仕掛けで一気に解決するという、これまでに何度も目にしてきたような凡庸なプロットになっていたからではないでしょうか。

あぁ、でもこの様な小難しい事を求めるから、コンテンツから子供たちが離れて行ってしまうのかな…でも名作と言われるものたちには、子供向けでありながらちゃんと深い洞察が入っていたりするしなぁ…

世代を超えて愛されるコンテンツへの敬意

と、老害がメンドクサイ事をツラツラと語っておりますが、最終的に子供たちが楽しんでくれたのであれば、それがこの映画としての大正解です。かつての自分がそうであったように、任天堂のコンテンツを楽しむ主役は子供達。

映画館は多くの子供たちで賑わっており、親の世代からその子供の世代まで遊び続けているコンテンツの凄まじさを改めて実感しました。ポケモンやマリオといった、世代を超えて共通の話題を持てるコンテンツを生み出す任天堂は本当に素晴らしい企業です。親子で共通のゲームの話題があるなんて、こんなに幸せな事はありません。

このノウハウを活かして、プレイヤーの高齢化が止まらない、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーも、子供たちが新しく遊び始められるような若返りを果たしてほしいと願わずにはいられません。

色々と不満も書きましたが、愛すべきキャラクターたちをこれほど豪華に映画化してくれたイルミネーションには心からの感謝です。ゼルダの伝説の実写化も控えていますし、日本の誇りである任天堂のコンテンツが、これからも世界中で丁寧に大切に愛されることを願っています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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