【犬の瞳に映る戦争と赦し、そして誰のものでもない疾走】
- 鑑賞日 2026/10/12
- 公開年 2026
- 監督 デヴィッド・エアー
- 脚本 キャメロン・アレクサンダー
- キャスト ブラッド・ピット、J・K・シモンズ、アンナ・ラム
- あらすじ アラスカ上空での飛行中、事故によって“魔の領域(ハート・オブ・ビースト)”と呼ばれる奥地に不時着した退役軍人ジェームズと、義足の元軍用偵察犬オーディン。かつて戦地で生死を共にした二人は、過酷な大自然の中、マイホームへの生還を目指す。
- ジャンル アメリカ映画,アクション,アドベンチャー,ドラマ,泣ける
- 鑑賞媒体 映画館
- お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)
感想
※この記事には映画『ハート・オブ・ビースト』の重大なネタバレが含まれています。未鑑賞の方はご注意ください。
今年の映画界における犬率の高さは一体!?
僕がブログで感想を書いただけでも、『シラート』『オークストリートの異変』『ラスト・サバイバー』『オデュッセイア』『ダイ・マイ・ラブ』、そして犬を主役に据えた『グッドボーイ』など、妙にワンちゃんの印象が強い作品が続いております。
『ラスト・サバイバー』も「愛犬と共に希望を求めて大空へ翔ける」サバイバルものとしてブログに記録していますし、『シラート』や『オークストリートの異変』では、まさに「犬がどうなるのか」が僕の鑑賞体験そのものに大きく作用していました。なにか意図があるのか、たまたまなのか、実に興味深い流れです。
しかも、昨今のハリウッドは「子供と犬はひどい目に遭わない」という不文律をアッサリ壊してくるので、今作もなかなかに観るのが憂鬱でした。ただ、これは良くも悪くもですが、冒頭でいきなりオーディンが登場することで、「犬は最後まで死にませんよ」と観客を安心させる、この脚本は上手いな、と思いました。
僕は最後までオーディン幽霊説を疑って疑心暗鬼でしたが……。
「犬は死なない」という安心と引き換えに失われるもの
良くも悪くもと言ったのは「犬が酷い目に遭わない」という安心感を得るのと引き換えに、物語のハラハラ感とカタルシスは犠牲になってしまうからです。それこそ『シラート』ばりの、「次の瞬間なにが起きるかわからない」という超弩級の緊張感は、否が応でも捨て去ることになってしまいます。
特に今作はサバイバルアクションな訳ですから、このバランスは制作陣も悩ましかったことでしょう。しかし犬を主役にする以上、事前の告知をしないとそもそも観に来ない、という時代ですので、当然の選択ですね。
そもそも、この作品において、「犬が死ぬかも死なないかも」というスリリングさはそこまで重要ではなく、大自然という過酷なセラピーを経て新たな人生を歩む、という壮大なイニシエーションを描いておりました。
一切人間を疑わない軍用犬
オーディンは軍用犬で、深刻なPTSDに悩まされておりました。
太古の時代より、人間と最も古くからパートナーとして寄り添ってくれている動物。ひたすら一途に愛情をぶつけてくれる大切な大切な命。それを今まで人間は平気で利用し、何度も裏切って来ました。こういう作品を見る度に、歴史上悲しい末路を辿ったワンちゃん達を思い出します。
片道切符のスプートニクに乗せられ、宇宙に放り出されたライカ犬のクドリャフカ。
「戦車の下に食べ物がある」と教えられ、爆弾を背負わされて敵陣地へ特攻させられた地雷犬。
そして現代も、軍用犬たちは戦地へ駆り出され、過酷な環境に置かれ、生存してもPTSDに苦しむことがあります。一途が故に人間を疑わない彼らは、一心に命令を遂行し、ひたすら大好きな人に喜んで貰おうと任務を遂行するのです。
人間の数千倍から1億倍といわれる嗅覚で、どれだけの流血と硝煙の臭いを嗅がされたのか。人間の約4倍と言われる聴覚で、どれだけの断末魔とつんざく爆撃音を聴いてきたのか。オーディンが経験した地獄を想像すると、涙が止まりませんでした。
ただ、映画自体は『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』のような深刻なPTSD描写は描いておらず、比較的ライトなテイストに抑えています。全年齢レーティングゆえ、フラッシュバックの描き方も優し目で、ともすればちょっとしたアメリカ軍賛美とも取れかねません。
イケオジブラピと大自然の映像とで、反戦の意図とオーディンの深い傷は一見見えにくくなり、美しいバディ映画として機能しておりました。そのように爽やかな映画として劇場を後にした方も多かったかもしれません。
物言わぬオーディンの瞳
ではなぜ僕がそこまで涙したかというと、わざわざ残酷描写を描かなくてもこちらを突き刺してくる、「物言わぬオーディンの瞳」でした。
言葉を話さないワンちゃんの目は、観客の写し鏡です。気楽に観る人には気楽な瞳に映るし、イケオジブラピ目的の人にはブラピを慕う瞳に映るでしょう。
翻って僕にはどう映ったかと言うと、前述した、「歴史上非業の死を遂げた犬達の亡霊としての瞳」でした。セリフで「こんな地獄を味わったんだ!」と叫ぶよりも、精密なCGで苛烈な戦場を再現するよりも、言葉を話さないオーディンの瞳が、何百倍も戦場の辛さを僕に想像させたのです。
モナリザのアルカイックスマイルではないですが、観る人によって様々な感情を想像させる、犬の瞳を使ってのクレショフ効果表現には舌を巻きました。実際の役者の演技やスクリーンの映像を越えて、ひたすらにオーディンの怯えた目に、終始胸が抉られたのです。
ジェームス自身が、オーディンの傷だったのではないか
そして、そんなオーディンが過去から解き放たれ、本当に前に進むために必要なものはなんだったのか。それは、戦地で命をかけて守り合った、大好きな大好きなジェームスの死でした。これだけ聞くと、ジェームスの自己犠牲によってオーディンは彼の意思を背負って生き続ける、といった美しい解釈になるとは思うのですが、批判を覚悟で僕の解釈を述べるとするならば、
「ジェームス自身がオーディンのPTSDのもっとも深い原因だった」
です。
もちろん、オーディンがジェームスを恨んでいた、といったとんちんかんな話ではありません。劇中の二人そのままに、彼らは心から信頼しあい、種を越えた絆で結ばれておりました。
しかし、どうあがいても、ジェームスは何も知らないオーディンを地獄に連れて行った水先案内人である事実は変わらないのです。当然、一兵卒であるジェームスの意思ではなく、巨大な国家という命令によって生じた事例ではあるのですが、それでも子犬の頃から人を殺す生き物として育てたのはジェームス自身です。
ラストの、オーディンとジェームスが子犬の時代から戯れ合う回想シーンは、二人の別れを増幅させる感動シーンではあるのですが、同時にあれら全てはジェームスの罪の歴史でもあるのです。何も知らない子犬を軍用犬に育てていく過程は、社会問題になっている少年兵とも同義です。
劇中でジェームスが「戦争に連れて行った俺に、オーディンは人間らしい暮らしを教えてくれた」と独白したように、彼も自身の罪は自覚していました。『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』でも、カウンセラーから執拗に「なぜ人を殺した?」と問われます。
初めは「命令だった!」「撃たなければ撃たれるんだ!」と反論するのですが、最後には絶望した顔で、「私は……人を、殺したかったんだ」と自身の罪と向き合うのです。
これは「美しい自己犠牲」ではない
もしかしたらジェームスも、この旅の道程で、ネルソンさんと同じように、自身の深淵と向き合ったのかもしれません。川で溺れ、腕が折れ曲がり、狼に腸を噛みちぎられ、初めてオーディンが味わった地獄を理解し、犯した罪と向き合えたのかもしれない。
ただし、ここを「ジェームスがオーディンのために死を選んだ」という、安直でヒロイックなお涙頂戴にはしたくありません。むしろ監督はそうさせないために、狼に襲わせ(おそらく破傷風になるでしょう)、沼地を渡らせ(雑菌だらけの水中)、おびただしい流血描写を見せて、ジェームスの死を確定状態にしたのだと思います。
彼にはもう、「生きるか死ぬか」を選ぶ猶予はない。死は決定事項だった。
その上で残されていたのが、この旅の果てに自分の過去と罪にどう向き合うのか、だったように僕には見えました。つまりはジェームスがオーディンを「自由にしてやる」という傲慢な話でもありません。それでは最後まで、人間が犬の運命を決めることになってしまう。
そうではなく、この過酷な旅を経てジェームス自身が、自分の過去と罪に向き合い、懺悔を経た。その精神的な変化が結果として、オーディンをも過去から解き放つことにつながった。僕にはそのように見えたのです。もちろん、これは劇中で言語化されている訳ではなく、オーロラを眺めるジェームス、死の間際で寄り添い合うオーディンとの時間、その静かな描き方を見て勝手にそう受け取っただけです。
映画の手法が「これが正解だ」と示している訳ではなく、あくまで僕の一方的な解釈。だからこそ、心臓発作による飛行機墜落で死の淵からわざわざ舞い戻った理由も、このラストにあったように思います。ただ死ぬのではなく、自分の罪と向き合い、大自然から懺悔を経る。
そしてそれは結果的に、ジェームス自身をも救うことにつながったのではないでしょうか。荘厳なオーロラの下、死を覚悟したジェームスの表情は、たまらない寂しさと同時に、穏やかさを携えているように見えました。戦場という地獄を経て、水の底から蘇り、過酷な自然に翻弄されながらも、安住の地に辿り着く。
それはまるで一つの神話でした。
「オーディン」という名と、美しすぎる北欧神話
そこに付随するのが、犬につけられた「オーディン」という名前です。
北欧神話のオーディンは、戦争や死、戦死者、知恵などと深く結びつく軍神です。神々の国「アスガルド」と人間界「ミッドガルド」を結ぶ架け橋であるオーロラの下で、死を迎える一人の戦士ジェームスを、戦死した仲間たちが待つ「安息の地ヴァルハラ」へとオーディンが見届ける、といった美しい解釈が成立します。
……が。僕はそんな美しい解釈を許さない。
映画内だけで見れば、「オーディンという名の犬が、オーロラの下で戦士の最期を見届ける」という神話的で美しい着地点になるでしょう。でも、その時間軸の外で考えた時、子犬の段階で「オーディン」と名前をつけたのは軍関係者かジェームスにあたると思います。(ブリーダーが譲渡する前に付けたのかもしれませんが)
生まれた時から軍用犬として育てられた犬に、人間が「オーディン」という軍神の名前をあえてつける意味は?それは、魔法の槍グングニルをもって、子供も女も老人も、死の神の如く敵の全てを全滅させろ、という意思があったのではないでしょうか?そこに僕は、とてつもなく人間の傲慢さを感じてしまいます。
何も知らない子犬に、人間が勝手に軍神の名を背負わせる。強くあれ。敵を殺せ。人間の命令を遂行しろ。そして大好きな人間に褒めてもらうため、彼らは一途にそれを実行する。犬自身は「オーディン」という名前が何を意味しているのかなんて知りません。国家とは何か、敵とは何か、戦争とは何かも知らない。ただ、大好きな人についていっただけです。
その結果、心に深い傷だけを背負わされた。
「オーディン」という格好の良い名前も、人間がこの犬に押しつけた軍用犬という役割、その呪いの象徴のように僕には思えてしまうのです。ジェームスが愛を込めて何度も呼ぶその名は、皮肉にも犬自身を縛る楔に見えました。
誰のものでもないオーディン
だからこそ、最後にオーロラを映し出すオーディンの瞳に僕が見たのは、「赦し」でした。
もちろん、オーディン自身がジェームスを恨んでいるという意味ではありません。ジェームスの罪の懺悔に対する、赦しというか。最後まで「彼を救う」という意味合いにおいての、犬という生き物の、人間に対するどこまでも献身的な愛を感じたのです。
大好きなジェームスの死。
彼の死体の腐乱具合から見ても、それを理解するまでに数日かかったのでしょう。そこから、風に乗った匂いで車のエンジンを嗅ぎ取り、国道に向かって全力疾走するシーンは、もうね、号泣です。オーディンは初めて人間の命令ではなく、自分の鼻で車の匂いを見つけ、自分で走る方向を決める。
ジェームスから離れ、次の飼い主のアンバーに出会うまで、この短い間だけ、オーディンは誰のものでもない、野生に還ります。生まれた時から軍用犬として育てられた彼が、初めて個として全てを振り切り、筋肉を躍動させ、力の限り走るのです。
人間に「オーディン」と名付けられ、人間に軍用犬として育てられ、人間の命令に従って生きてきた犬が、ジェームスの死後ほんの短い時間だけ、その名前に込められた人間側の意味すら関係なく、一匹の動物として走る。
戦争の記憶と、大好きだけど自分を地獄に導いたジェームスとの楔を過去に置いて、画面の左から右へ、その未来に向かって走り抜くのです。大自然と相まったその光景の荘厳なるや!
狼バトルの森の中や、沼地横断などが、残念ながらセット感が強くロケ映像との落差が目立っただけに、このラストが逆に滅茶苦茶映えていたので、あのチープ感は計算だったという事にしておきましょう(笑)
オーディンという名は、ジェームスの手紙によって新たな飼い主アンバーに引き継がれます。ですが、同じ名前でもそれに込めた「敵を殺す犬」という役割からは離れ、アンバーの口から彼を呼ぶ名前にはただただ、愛だけがあるのです。なので、オーディンが真の意味で過去から解き放たれる為には、どうしてもジェームスの死が必要だったのですね。その悲しい二重構造を作り上げた監督には脱帽です。
昔一緒に暮らした犬たちのことを思い出す
その一途な愛情は、昔一緒に過ごした愛犬達から沢山与えて貰いました。でも幼かった僕は、その溢れる愛情が時には煩わしく感じる時もあり、邪険に接したこともありました。
もう二度とあの子達と会えない今、なぜもっと全力で応えてあげられなかったのだろう、と後悔するばかりです。今一緒に暮らしている猫ちゃん二匹には、同じ後悔をしないよう、一日一日を大事に暮らしています。
一見するとライトなサバイバルものに見えそうなテイストを、犬の瞳という、観る人の想像力を利用し、人によっては重い反戦映画として作り上げたすんごい作品でした。
軍用犬として育てられ、今も苦しんでいるワンちゃん達が、どうか穏やかに暮らせる日がきますよう。
イラストのタイムラプスです↓
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