ロジックかケレン味か、どちらかに振り切ってほしかった惜作
- 鑑賞日 2026/08/19
- 公開年 2026
- 監督 マット・ベティネッリ=オルピン、タイラー・ジレット
- 脚本 マット・ベティネッリ=オルピン、タイラー・ジレット
- キャスト サマラ・ウィービング、キャスリン・ニュートン、サラ・ミシェル・ゲラー、ショーン・ハトシー、ネスター・カーボネル、デビッド・クローネンバーグ、イライジャ・ウッド、ケビン・デュランド、オリビア・チェン、バルン・サランガ、ダニエル・バーン
- あらすじ 血に染まった前作のゲームを生き延びたグレースの前に、新たな悪夢が立ちはだかります。彼女の生還劇が世界を裏で操る支配者たちの目に留まり、再び標的として選ばれてしまいます。舞台は選ばれし名家が覇権を争う禁断の領域〈カウンシル〉。悪魔ル・ベイルと契約を結んだ6つの名家の代表たちが、それぞれの一族に伝わる武器を手に夜明けまでにグレースを仕留めようと襲いかかります。長年絶縁状態だった妹フェイスと手錠でつながれ身動きが制限される極限状況のなか、2人は生き残りを懸けて命がけの戦いに挑みます。
- ジャンル アメリカ映画,スリラー,アクション,サスペンス
- 鑑賞媒体 映画館
- お気に入り △(×、△、〇、◎の四段階)
感想
前作『レディ・オア・ノット』は未鑑賞のまま映画館へ足を運んだのですが、冒頭で前作のあらすじを丁寧に履修してくれる構成になっており、前提知識ゼロでも全く問題なく物語に入り込めました。
1作目で悪魔崇拝の一族へ嫁いでしまい、理不尽な儀式に巻き込まれたものの、返り討ちにして相手の家族を全滅させた花嫁グレース。今作は、なんと国をも牛耳るその巨大一族の残党全員が、彼女に対して再び「死のかくれんぼ」を仕掛けてくるという設定です。プロットの引きとしては文句なしに魅力的で、観る前から期待値は跳ね上がっていました。
というのも、個人的に傑作だった『ゼイ・ウィル・キル・ユー』と筋書きがほぼ同じだったからです。あちらがシチュエーションスリラーとしてもリベンジアクションとしても超絶面白かっただけに、「今作も絶対にスカッとさせてくれるはず!」とワクワクして鑑賞したのですが……結果としての満足度は、正直に言って「△」でした。
今季は『氷血』『ブリング・ハー・バック』『オブセッション 災愛』といった、ホラー、スリラー、スプラッターのジャンルに、脚本の作り込みが素晴らしい大傑作が揃いすぎていました。そんな名作ラッシュの余韻の中で今作を観てしまうと、どうしても脚本や演出の粗さが悪目立ちしてしまった印象です。
何がそこまで気になってしまったのか、自己分析していきたいと思います。
「たまたま」で命拾いし続ける、緊張感のないサバイバル
『ゼイ・ウィル・キル・ユー』との決定的な差であり、今作最大のノイズになっていたのが「殺す側も殺される側も、あまりに行き当たりばったりすぎる」という点です。
もちろん、この手のジャンル映画において予期せぬアクシデントや運の要素はある程度必要です。しかし今作は、全編を通して「たまたま殺されなかった」「たまたま殺せなかった」の連続。キャラクターたちの行動があまりにも無計画で、開始数秒で死んでいてもおかしくない軽率なムーヴばかりが目立ちます。
全てをガチガチにロジカルにしろとは言いませんが、観客が納得できる「失敗の必然性」を描いてくれないのです。例えば、形勢逆転の決定打になるはずのショットガンを手に入れたのにバカみたいに正面から突入してピンチに陥ったり、長々と演説しているせいで絶好のチャンスを逃したり。
特に悪役側の描写で一番萎えてしまったのが、「ダラダラとトドメを刺さずにいたぶって、いざ殺そうとした瞬間に背後から別のキャラにパコーン!と殴られて阻止される」というお決まりのパターンです。長々と演説するなら、それをするだけのキャラクター性や狂気の説得力が欲しいところですし、「さっさと殺していればそんなことにならなかったのに……」と観客に思わせてしまう時点で、サバイバルとしての緊迫感は一気に冷めてしまいます。
また、小道具の配置や舞台の間取りも、悪い意味で都合の良すぎるゲームのようでした。「手錠をはめられたら、なぜか次の部屋に研磨機が置いてある。」「大怪我を負ったら、なぜか次の部屋に痛み止めが転がっている。」などなど。キャラクターが知恵を絞り、身の回りにあるものを機転で活用して危機を脱するのではなく、「彼女たちを死なせないために脚本が先回りしてアイテムを用意している」のが透けて見えてしまったのが残念です。
姉妹のドラマに欲しかった「化学変化」と「Show, don’t tell」
今作の大きなドラマの縦軸として描かれるのが、主人公グレースと妹フェイスの姉妹関係です。
妹のフェイス自体は、早々に覚悟を決めて全編にわたって非常に良いムーヴをしてくれました。行動力もあり、観ていて純粋に応援したくなるキャラクターだったのは間違いありません。しかし、作品全体として見ると、この姉妹のバディ構造がプロットにうまく昇華されていなかったように思います。
例えば『ゼイ・ウィル・キル・ユー』では、ラストに妹が命を賭して姉を助けるという、痛切で美しい自己犠牲と絆の結実がありました。それに対して今作は、いがみ合っていた姉妹が互いの努力や機転によって絆を取り戻すのではなく、状況に流されるまま「結果オーライ」で生き残った印象が拭えません。
本来、シチュエーションスリラーでバディを描くなら、「2人だからこそ思いついた機転」や「互いの欠点を補い合う連携」で絶体絶命の難所を突破してこそ、ドラマの感動とサバイバルの爽快感が同時に成立するはずです。しかし今作はそうした化学変化に乏しく、極論「一人でも成り立ってしまうプロット」に見えてしまいました。
過去に妹を捨ててしまった姉が、今作では見捨てずに助け合うというエモーショナルなテーマ自体は良いのです。しかし、それを象徴する過去の回想シーンや思い出のアイテムといった映像的演出(Show)がほとんどなく、すべて「台詞の言い合い(Tell)」だけで説明されてしまうため、どうしても感情移入しづらかったのが非常に惜しいポイントでした。
主人公グレースのブレと、敵のカリスマ不足
主人公であるグレース自身のキャラクター造形にも、最後まで乗り切れない部分がありました。
冒頭で「このドレスを着ないと戦えない」と言い放ち、前作の血まみれのウェディングドレスをまるで鎧のように身に纏うシーンは、鳥肌が立つほど最高にカッコよかったです。「覚醒した花嫁が、今度はどんな痛い目を奴らに見せてくれるのか!」と一気にテンションが上がりました。
しかし、いざ本編が始まると、頼もしく覚醒したかと思えば急に怯えてガクブルになり、そうかと思えば急に強気になったりと、行動の一貫性がありません。「極限状態のリアルな人間心理」と言われればそうなのかもしれませんが、観客が求めている痛快なリベンジのカタルシスとは完全にズレてしまっていました。
また、迎え撃つ悪魔崇拝者たちにも魅力が足りなかった。確かに「血まみれドレスのアイコン性の高さ」や「洗濯機に人間を放り込んで大火傷殺菌させるゴア描写」、「特権階級の滑稽さを笑うB級ブラックコメディ」といった光る部分はありました。
ですが、映画全体で見ると、敵に飛び抜けた狂気があるわけでもなく、国家を牛耳っているような陰謀感や圧倒的なカリスマも伝わってきません。狩りのフィールドとなる舞台も平凡で、『ゼイ・ウィル・キル・ユー』が描いた「街中の普通のアパートが悪魔崇拝者の巣窟だった」というような、日常と地続きのゾクゾクする恐怖には遠く及ばないのです。
そして何より、ラスト付近の復讐劇も「自分たちの手で知恵と力を振り絞って掴み取った勝利」とは言い難く、スカッとする爽快感は不完全燃焼のままでした。カメラアングルやキレッキレの音楽で観客のテンションを最高潮までブチ上げてくれた『ゼイ・ウィル・キル・ユー』の圧倒的なやり返しの気持ちよさと比べると、どうしても見劣りしてしまいます。
ロジックかケレン味か、どちらかに振り切ってほしかった
今作を観終わって強く感じたのは、「映画としてのスタンスのどっちつかずさ」です。
もしサバイバルスリラーとして描くなら、張り巡らされた伏線とキャラクターの知恵比べで魅せる緻密でロジカルな脚本にしてほしかったですし、逆にブラックコメディやスラッシャーとして楽しませるなら、サム・ライミ監督作品ばりの過剰なケレン味と突き抜けた狂気で押し切ってほしかったです。
中途半端に「シリアスなサバイバル劇」の顔をするからアイテム配置の都合の良さや敵味方の無能さが気になって冷めてしまい、かといって「おバカなB級スラッシャー」として笑い飛ばせるほど突き抜けた勢いもない。
プロットやビジュアルの引きが抜群に良かっただけに、そのどちらにも振り切れなかった脚本のぬるさが、最後まで消化不良として残ってしまう非常に勿体ない一本でした。
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