【映画レビュー】「オブセッション 災愛」

映画

【オブセッション 災愛】

  • 鑑賞日 2026/07/22
  • 公開年 2026
  • 監督 カリー・バーカー
  • 脚本 カリー・バーカー
  • キャスト マイケル・ジョンストン、インディ・ナバエレッテ、クーパー・トムリンソン、メーガン・ローレス、アンディ・リクター
  • あらすじ 内気な青年の「愛されたい」という願望が制御不能な恐怖へと転じていく様子を描き、新人監督による製作費100万ドル未満の作品ながらアメリカで大ヒットを記録したロマンティックホラー。孤独で内向的な青年ベアは、恋心を寄せている女性ニッキーと距離を縮めたいとの思いから、願いをかなえてくれるという不気味なまじない「ワン・ウィッシュ・ウィロー」に手を出してしまう。しかし、純粋だったはずの恋愛感情は次第に執着(オブセッション)へと変貌し、ベアは想像を絶する惨劇にのみこまれていく。
  • ジャンル アメリカ映画,ドラマ,ホラー,スリラー,ゾクゾク
  • 鑑賞媒体 映画館
  • お気に入り ◎(×、△、〇、◎の四段階)

感想

一目で低予算映画だとわかる作りでありながら、とにかく天才的な画角と照明だけで、ここまで面白くできるのかと脱帽しました。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』を見た時にも感じましたが、発想と工夫によって映画は無限大の可能性を持っていることを見せてくれて、本当に幸せな鑑賞後感を味わいました。

しっかりと理由のあるフェアなジャンプスケア

作品全体として生半可なホラー映画より、圧倒的に怖いです。僕は基本的にジャンプスケアが苦手なのですが、今作の手法はアンフェアな驚かし方ではなく、全て脚本と綿密に繋がっている必然のテクニックとして使用しているので、不快感はありません。

ただ唐突に無意味に驚かすだけのジャンプスケアは怖さよりムカつきが勝ってしまいますが、今作は驚かせ方のすべてがニッキーの不安定な内面と連動しているので、演出上必要だから使われるジャンプスケアとして、素直に驚けて気持ち良かったです。ビクゥッっとした後に、驚いた自分に思わず笑ってしまう様な、ホラー映画「スペル」の時に感じた爽快感と同じ、健全なビックリでした。

不穏さを煽り立てる意地悪な画角と計算された恐怖

今作は画角がいちいち意地悪で、後ろ斜めからの視点だったり、不自然に人物が中央から外れていたりと、いつ、その隙間からニッキーが現れてもおかしくないアングルで写し続けます。だからこそ全編を通して目を細めて身体をシートに押し付けるほどに緊張感が続きますし、傑作映画「シラータ」レベルの恐怖感でした。

予告ではいかにもメンヘラ彼女が巻き起こすサイコホラーの切り取り方だったので、その腹積もりで挑みましたが、まさかのガチンコ心霊系で、別のベクトルで滅茶苦茶怖かったです。仮にニッキーがサイコキラーだとしたら、巻き起こす様々な凶行が実際の事件ものとして、もっと冷静に見られたハズです。それが憑依系のジャンルに移行したものですから、見事に受け取る恐怖の質が変遷し、いちいち全ての場面が心霊ホラーものとして怖かったです。

同じシークエンスでもシリアルキラーなのかエクソシストなのかで、こんなにも恐怖のレベルが変わるのかと大変に興味深かったです。仮に今作の設定がただの嫉妬深い女性が起こした猟奇殺人であれば、ここまで怖くなかったと思います。ほんのひとさじ、往年のジャンプ漫画『アウターゾーン』のような怪異を混ぜることによって、得体の知れない全く別のジャンルの怖さになりました。

現実味のある怪異とクリーチャーアイコンに逃げない格好良さ

今作秀逸なのが、設定としてはあくまで「願いが叶う柳」による呪いが巻き起こす物語ですが、僕たちと地続きの現実として、十分起こり得るリアリティレベルで描いている点です。宙に浮くわけでもなく物が勝手に動くわけでもない、あくまで全てニッキーの人力で起こしているもので、怪異の手を借りなくても誰もが普通に起こせる事件です。だからこそ、肌感覚として滅茶苦茶怖いのです。

よくある悪霊物の様に、ニッキーに憑依した「何者か」が、おどろおどろしい二重音声で話すこともなく、あくまですべての叫び声はニッキー自身の声ですし、わかりやすい怨霊やゾンビなどのアイコンも使用しません。

「大金が空から降ってくる」という一点だけ怪異の設定を裏付けますが、それ以外の全てのシークエンスはニッキーが憑依された結果なのか、自身の意思で起こしているのか、心霊ホラーなのかサイコホラーなのか、ギリギリまでジャンルを固定せず、こちらの考察に委ねるつくりが物語に深みを与えていました。物語に出てくる呪物は、どこまで行ってもマクガフィンに過ぎないのですね。

二重構造が生むブラックユーモア

また、恐怖と笑いは表裏一体なので、ホラー映画は同時に笑える事が僕の理想です。今作に関してその部分は完璧で、ニッキーの凶行が恐ろしくありつつも全てが行き切っていて、相当に笑えます。

サラを殺害するシーンもグロくて恐ろしいのですが、何度も何度も頭を叩きつける姿にしまいには「やりすぎやりすぎ!もうわかったから!」とつい笑ってしまいます。インディ・ナバエレッテさんの豊かな顔芸の数々も滅茶苦茶面白くて、怖いながらもどこかキュートさも感じてしまい、感情が右往左往してしまいました。

また、動きで笑いを取るホラー映画はこれまで何度も見ましたが、「劇伴」で笑いを取ってくるセンスは今作が初めてで、とても新鮮でした。少しでもロマンスっぽい場面になるとホラー映画らしからぬメロいBGMが流れて、強引に恋愛映画テイストになります。だけれどもそれが完全にボケの前振りになっており、「絶対この後酷い事になるじゃん(笑)」とツッコんでしまうほど、あのBGMが流れた瞬間思わず笑ってしまうのです。音楽でボケてくるホラー映画は初めてでした。

自己中心的なベアの醜さと自業自得の爽快感

先ほど怪異に関してはマクガフィン、と記述したように、今作の描いている本質は愛と執着の違いです。

ベアという男は、自身の睡眠薬管理不足で愛猫サンディが死んでしまったというのに、可哀そうな被害者面していることや、その死んでしまった理由も友達に言わない計算高さ。猫の追悼をしているふりをして好きな子の誘いを優先する薄情さなど、猫と暮らす身としては到底許せないクズ野郎です。

一見無害な心優しい青年に見えますが、その実勇気が無くウジウジしていて徹底的に観客が感情移入しづらい人物として設定されています。ニッキーが「好きって言うなら今だよ」という最大限の助け舟を出しているのにそれに応えられない始末ですし、あげくには胡散臭い占いアイテムに「ニッキーが誰よりも僕を好きになりますように」という自己中心的な願いを言います。

「彼女に告白できる勇気をください」とか「彼女が僕を好きになるよう努力します」といった能動的な誓いではなく、相手の意思や人格を無視した、どこまで言っても自身のプライドが傷つかなくて済む都合の良い受け身の願いを言ってしまうのですね。この様に、どうしても好きになれない人物設定のおかげで、彼が酷い目に遭うことに対して観客は、「可哀想」より「自業自得だ」という負の爽快感を持って見られるのが秀逸でした。

仮に異物の力を借りてニッキーの心を自分に振り向かせたとしましょう。邪道ではありますが、それでもベアの気持ちが真剣なのであれば、異形となった彼女だとしても心から愛することで『ザ・ブライド!』のフランケンシュタインのように、始まりは罪でも、結果的に恋が成就する帰着もあったはずです。

ですが今作のベアは早々にニッキーを恐れて離れようとします。しょせんその程度の好意だったわけです。命をかけて相手と添い遂げる覚悟もないのに「誰よりも僕のこと好きになりますように」と軽はずみに願ったわけですから、そりゃしっぺ返しを食らって当然です。

常々、狂気的な愛を求めてくるストーカー系映画を見ていると感じるのですが、その相手をこちらも狂気的なほど愛し返せばWin-Winなのになぁと、よく思います。ベアもニッキーの執着と同じレベルの執着でやり返せばこの上ないハッピーエンドなのにと思って見ていました。好きでもない男と強制的に添い遂げさせられるニッキーの方に同情してしまいます。

ですが「人ってそういう醜さあるよね」と100%ベアを責められないのも事実。特に、まだ20代だった時の自分を思い返すと、彼の様な情けない行動を沢山しておりました。ついつい外国の方は見た目が大人っぽいので自分と同等の精神年齢として観てしまいますが、これをベビーフェイスな日本人が演じていたら、もうちょっとベアに対するヘイトがマシだったかもですね。好きな子からの誘いを跳ね除けられる強者だけがベアに石を投げなさい。僕には無理でした。

重なり合う多角的な解釈と「黒い顔」の演出力

今作興味深いのは、物語に実に様々な見方が出来るという点です。

一つは、男性の一方的な抑圧によって、女性の人格も権利も、無慈悲に剥奪される差別として捉えられます。ニッキーは豊かで詩的な表現ができる小説家志望の才能溢れる女性です。それがベアという己の欲望のみを主張する男に急に全てを奪われます。憑依されながらも時折現れて「これは私じゃない」「私を殺して」と慟哭するニッキーの人格は、抑圧された全ての女性の代弁にも見えました。

また別の見方として、ニッキーの奇怪な行動の数々は、儀式によって猫のサンディの魂が乗り移ったとも言えます。「あなたの匂いがする」と喜ぶ場面も、「どうして愛してくれないの!」と叫ぶシーンも、ベアを慕うサンディの気持ちだとしたら滅茶苦茶切ないです。そういう猫目線の飼い主に対するラブストーリーとして見られるのも秀逸ですね。

そして、急にわめき出す描写や次の瞬間に何をするかわからない怖さは、老若男女問わず、暴力を受ける側の恐怖その物です。親から、パートナーから、上司から、同級生から、悲痛な暴力を受けている人は、家庭内や職場や学校で、ベアの様に逃げ場のない圧倒的な恐怖を味わっているのだと、視覚的に突き付けてきます。そして人間だけなく、あらゆるペットも、飼い主の機嫌次第で次の瞬間には殺されるし、捨てれるかもしれない。ニッキーがベアに与えてた恐怖の行動は、猫のサンディが生前ベアに感じていた恐怖そのものなのかもしれませんね。だとしたらあの野郎…マジで許さん…

光源とアングルだけで作り出す恐怖映像

上記のような様々な解釈を、派手なCGや特殊メイクではなく逆光の真っ黒な顔だけでこちら側に想像させるのが本当に素晴らしいです。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではないですが、何度も出てくるニッキーの黒い顔は観客の数だけ解釈をくれます。過去に同じような恋愛経験がある人は恐ろしく感じ、同じような抑圧を受けた事がある人は悲しく、観客の各々の人生経験が映し鏡のようにあの黒い顔に投影されるのです。

あの黒いシルエットは現場で撮影できたのか、撮影後に加工したのかわかりませんが、どちらにせよ偶然撮れたという代物ではなく、監督の脳内にあった明確な絵コンテを忠実に映像化したもの。部屋の隅の暗闇に佇ませたり、遠景のボヤけた視界でこちらをずっと見ているシルエットだったり、車の窓から胴体だけが見えたり、ニッキーの表情がわからないのにこちらを見ている事だけは確実に伝わってくるという、全ての画角が計算されつくしたものでした。監督の絵コンテ力もすごいですし、それを克明に再現できるスタッフも恐るべしです。

悲劇の結末と劇場で味わった最高の余韻

ロミオ&ジュリエットを模したラストも良かったですね。恋愛ゲームやなろう系アニメでよく見る「僕だけを愛してくれる美少女」がどんな結果をもたらすかを痛烈に見せてくれます。待っているだけでなく、ちゃんと自分から相手に好かれるよう努力することの大切さを教えてくれる、最高のホラー映画でした。

余談ですが、斜め前のカップルの彼女さんがスタッフロールで、コンっと彼氏さんの肩に愛らしく頭を乗せまして、もちろん「怖かったね」「面白かったね」のコンっだと思うのですが、もしニッキーのように「アナタハワタシダケヲアイシテルヨネ?」のコンっだったら超怖えええ!とゾクゾクしながら映画館を後にしたのが、今回のハイライト(笑)


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